デッドウッド
デッドウッド Deadwood | |
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現代のデッドウッド | |
位置 | |
デッドウッドとローレンス郡の位置 | |
座標 : 北緯44度22分36秒 東経103度43分45秒 / 北緯44.37667度 東経103.72917度 | |
歴史 | |
設立 | 1876年 |
行政 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | サウスダコタ州 |
郡 | ローレンス郡 |
市 | デッドウッド |
市長 | チャック・タービビル[1] |
地理 | |
面積 | |
市域 | 9.92 km2 |
陸上 | 9.92 km2 |
水面 | 0 km2 |
標高 | 1,381 m |
人口 | |
人口 | (2010年現在) |
市域 | 1,270人 |
人口密度 | 128.0人/km2 |
その他 | |
等時帯 | 中部標準時 (UTC-7) |
夏時間 | 中部夏時間 (UTC-6) |
郵便番号 | 57732 |
公式ウェブサイト : http://www.deadwood.com/ |
デッドウッド(ラコタ語:Owáyasuta(物事に賛成する、証明するという意味)[2]) は、アメリカ合衆国サウスダコタ州西部の都市であり、ローレンス郡の郡庁所在地である。名前は、その峡谷に見られる枯倒木に由来する[3]。2010年国勢調査における人口は1,270人。市内には、アメリカ合衆国国定歴史建造物地区のデッドウッド歴史地区がある。
歴史
[編集]19世紀
[編集]デッドウッドは、1868年の第二次フォート・ララミー条約でインディアンに認められた保留地であったが、1870年代になると不法入植が始まった。条約はブラックヒルズの所有をラコタ族に保証していたが、ブラックヒルズに関する争いは続き、何度も合衆国最高裁判所に持ち込まれていた。そうした中、1874年にジョージ・アームストロング・カスター中佐が遠征隊を率いてブラックヒルズに侵入し、現在のサウスダコタ州カスター付近のフレンチクリークで金を発見し発表した。カスターの発表はブラックヒルズ・ゴールドラッシュを引き起こし、違法に誕生した街、デッドウッドの人口は、たちまち約5,000人となった。
1876年初め、開拓者のチャーリー・アターと兄弟のスティーブは、需要を期待した商品を積んだ幌馬車隊を率いて、デッドウッドにやって来た。幌馬車隊は、確実な儲けをもたらすギャンブラーと売春婦も連れていた。女の需要は強く、売春には良い稼ぎ場であった。マダム・ドーラ・デュフランは、デッドウッドで最も稼いだ売春宿の女主人となり、マダム・モリー・ジョンソンが彼女に続いた。同年9月には、トム・ミラーが、ベラ・ユニオン・サルーンを開店した。
続いて1877年4月7日に、デッドウッドのアヘン取引を支配していたアル・スウェレンジンが、ジェム・シアターを開店した。このサルーンは、1879年の火事で焼失、再建されたが、1899年に再び焼失し、スウェレンジンが街を去る原因になった。
街はワイルド・ビル・ヒコックの殺害で悪名を得た。マウント・モリアー墓地には、ヒコック、カラミティ・ジェーンのほか、セス・ブロックのように少し知名度は劣る者らも眠っている。デッドウッドは殺人が日常茶飯事ながら、殺人に対する処罰は常に公平ではなく、野蛮さと無法で知られるようになった。ヒコック殺害犯のジャック・マッコールは、合衆国憲法で二重処罰が禁止されているにもかかわらず2度訴追された。というのも、デッドウッドはインディアン居留地にある違法の街であり、マッコールを訴追したり無罪にする権限が無いと裁定されたからであった。この裁定によりマッコールの裁判はダコタ準州裁判所(インディアン裁判所)に移され、そこでマッコールは殺人罪で有罪となり、絞首刑となった。
経済がゴールドラッシュから安定的な採掘に移行すると、デッドウッドは荒っぽい雰囲気を失い、繁栄した街になった。1876年、天然痘が流行し、大勢が感染したため、患者を隔離するテントが建てられた。
1876年のリトルビッグホーンの戦いの後、ジョージ・クルックはデッドウッドまでスー族を追撃し、ホースミート・マーチと呼ばれる遠征を行った。1877年には、リードの近くにホームステーキ鉱山が開山した。同鉱山は合衆国で最も長く採掘された金鉱であり、2002年に金の採掘を終了した後、鉱山を観光客向けに公開している。
1879年9月26日に大火が発生、300軒以上の建物と多数の住民の財産を焼き尽くし、デットウッドは壊滅状態になった。財産を失った者の多くが、初期のデッドウッドを特徴づけていた、未採掘の豊かな鉱脈の可能性のない土地で再出発するために、街を去った。
1888年、デッドウッドの住民のJ.K.P.ミラーは仲間と、彼らがブラックヒルズに持つ採掘場所との輸送のため、狭軌のデッドウッドセントラル鉄道を開業した。同鉄道は、1893年にシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道に買収された。1902年にデッドウッドとリード間がインターアーバンとして電化され、1924年まで運行された。同鉄道は1930年に廃止され、キルク(Kirk)とファンテイル・ジャンクション(Fantail Junction)の区間は標準軌に改軌された。この残った区間も跡を継いだバーリントン・ノーザン鉄道により、1984年に廃止された[4]。
初期の住民と頻繁に街を訪れた人物には、アル・スウェレンジン、E.B.ファーナム、チャーリー・アター、ソル・スター、マーサ・ブロック、A.W.メリック、サミュエル・フィールズ、カラミティ・ジェーン、ヴァレンタイン・マギリカディ、ヘンリー・ウェストン・スミス、アーロン・ダン、ワイルド・ビル・ヒコックらがいる。
20世紀および21世紀
[編集]1959年9月にも大火が発生し、街は壊滅寸前になった。約4,500エーカーが焼失し、避難勧告指示が出された。約3,600人のボランティア、消防士、ホームステーキ鉱山の従業員、エルスワース空軍基地やサウスダコタ州兵第109工兵大隊の兵士らにより鎮火したが、地域経済は大きく悪化した[5][6]。
1961年に街全体がアメリカ合衆国国定歴史建造物地区に指定された。しかし街は続く20年間にさらに衰退し、財政が悪化した[7]。1964年には州間高速道路90号線が開通、売春宿は1980年の警察の手入れの後、店じまいした[7]。1987年12月の火事により、歴史のあるシンジケート・ビルディングと近隣の建物が焼失した[7]。この火事は、中心街を復興する手段としてギャンブルを導入する「デッドウッド実験(Deadwood Experiment)」を後押しした[7][8]。当時、ギャンブルが合法だったのは、ネバダ州とアトランティックシティだけであった[9]。デッドウッドは、歴史的街並みを維持する目的で合法のギャンブル収益を手に入れた合衆国で最初の小集落となった[9]。1989年にデッドウッドでのギャンブルが合法化され、たちまち著しい新たな収益と開発をもたらした[10]が、開発の圧力は歴史地区の統一感に影響を与える可能性もある[10]。
チャイナタウン
[編集]中国系移民もゴールドラッシュに惹きつけられ、ピークには250人が住んでいた[11]。採掘に関わったのは少数で、多くはサービス業で働いた。ダコタ準州には外国人の所有制限が無く、かつ外国人にとても寛容だったことから、メインストリートにチャイナタウンができた。1876年にデッドウッドに来たワン・フィー・リー(Wong Fee Lee)は、街一番の商人になり、1921年に死ぬまで中国系アメリカ人のリーダーであった[12]。
チャイナタウンにはアフリカ系やヨーロッパ系の住民もいた[13]。2000年代には州の支援で発掘調査が行われている[14]。
地理
[編集]デッドウッドは、北緯44度22分36秒 西経103度43分45秒 / 北緯44.37667度 西経103.72917度[15]に位置する。
全てが陸地であり、アメリカ合衆国統計局によると、総面積は3.83平方マイル (9.92 km2)である[16]。
デッドウッドのZIPコードは57732、FIPSコードは15700である。
観光
[編集]ハイキング、マウンテンバイク、乗馬トレッキングのコースが多数ある。ジョージ・S・ミケルソン・トレイルは、北端のデッドウッドからブラックヒルズを越えてエッジモントまで南へ伸びている。シェリダン湖などの人造湖では、釣りや水泳が楽しめる。北方のスペアフィッシュ・キャニオンにはロッククライミングのポイントが多数ある。6月初めには、ミケルソン・トレイル・マラソンと子供のための同伴レースが行われている。
冬には、近隣のリード郊外に、テリーピークとディア・マウンテンの2ヶ所のスキー場が開く。
デッドウッドにあるミッドナイトスターカジノは、大部分をサウスダコタ州で撮影し、第63回アカデミー賞作品賞を受賞した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の監督・主演を務めたアメリカの映画俳優、ケビン・コスナーがオーナーである。その壁には、彼の映画ポスターの各国ヴァージョンが飾られている。
気候
[編集]デッドウッドの気候は、サウスダコタ州の他地域や周辺部とかなり異なる。州の大半が年間降水量15インチ未満であるのに対し、リード・デッドウッド地域の年間降水量は30インチ近くに達する。雪は早ければ9月、遅ければ5月まで降る可能性があり、降水のほとんどは冬季の雪によるものである。春は短く、湿った猛吹雪や連日の雨が特徴である。
デッドウッドの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °F (°C) | 65 (18) | 67 (19) | 74 (23) | 91 (33) | 94 (34) | 101 (38) | 103 (39) | 103 (39) | 101 (38) | 86 (30) | 75 (24) | 64 (18) | 103 (39) |
平均最高気温 °F (°C) | 33 (1) | 37 (3) | 44 (7) | 53 (12) | 64 (18) | 74 (23) | 81 (27) | 80 (27) | 70 (21) | 57 (14) | 42 (6) | 35 (2) | 55.8 (13.4) |
平均最低気温 °F (°C) | 11 (−12) | 15 (−9) | 21 (−6) | 29 (−2) | 39 (4) | 48 (9) | 54 (12) | 52 (11) | 42 (6) | 32 (0) | 21 (−6) | 13 (−11) | 31.4 (−0.3) |
最低気温記録 °F (°C) | −28 (−33) | −29 (−34) | −18 (−28) | −4 (−20) | 4 (−16) | 23 (−5) | 32 (0) | 34 (1) | 17 (−8) | −7 (−22) | −19 (−28) | −30 (−34) | −30 (−34) |
降水量 inch (mm) | 1.30 (33) | 1.19 (30.2) | 2.36 (59.9) | 3.62 (91.9) | 4.51 (114.6) | 3.95 (100.3) | 2.69 (68.3) | 2.03 (51.6) | 1.79 (45.5) | 2.18 (55.4) | 1.42 (36.1) | 1.39 (35.3) | 28.43 (722.1) |
出典1:サウスダコタ州立大学[17] | |||||||||||||
出典2:アメリカ海洋大気庁[18] |
人口統計
[編集]人口推移 | |||
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年 | 人口 | %± | |
1880 | 3,777 | — | |
1890 | 2,366 | −37.4% | |
1900 | 3,408 | 44.0% | |
1910 | 3,653 | 7.2% | |
1920 | 2,403 | −34.2% | |
1930 | 2,559 | 6.5% | |
1940 | 4,100 | 60.2% | |
1950 | 3,288 | −19.8% | |
1960 | 3,045 | −7.4% | |
1970 | 2,409 | −20.9% | |
1980 | 2,035 | −15.5% | |
1990 | 1,830 | −10.1% | |
2000 | 1,380 | −24.6% | |
2010 | 1,270 | −8.0% | |
2013(推計) | 1,288 | 1.4% | |
国勢調査[19] 2013年推計[20] |
2000年国勢調査
[編集]2000年国勢調査結果は以下の通り[21]。
基礎データ
人種別人口構成
| 年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
| 収入と家計 |
2010年国勢調査
[編集]2010年国勢調査結果は以下の通り[21]。
基礎データ
人種別人口構成
| 年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
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デッドウッドが登場する作品
[編集]- 『きみならどうする?』「Deadwood City」:子供向けの本。1980年出版[22]。
- 『新スタートレック』「A Fistful of Datas」:1992年放送、シーズン6エピソード8。19世紀のデッドウッドのホログラムが登場。
- 『デッドウッド 〜銃とSEXとワイルドタウン』:HBO制作の2004年から2006年まで放送されたテレビドラマ。1870年代のデッドウッドが舞台。
著名人物
[編集]- グランビル・G・ベネット (1833–1910):弁護士、政治家
- ジェリー・ブライアント:歴史家
- カラミティ・ジェーン (1852–1903):女性開拓者
- フィリップ・S・ヴァン・サイズ (1884–1969):コロラド州検察官
- ウィリアム・H・クラゲット (1838–1901):弁護士、政治家
- チャールズ・バッジャー・クラーク (1883–1957):詩人
- リチャード・クラーク (1845–1930):開拓者
- ローランド・クロフォード (1902–1973):建築家
- ゲイリー・ミュール・ディアー (1940-):コメディアン、カントリー・ミュージシャン
- チャールズ・ヘンリー・ディートリッヒ (1853–1924):第11代ネブラスカ州知事
- ドーラ・デュフラン (1868–1934):売春宿の女主人
- ワイアット・アープ (1848–1929):投資家、保安官。1876年から1887年までデッドウッドに在住
- E.B.ファーナム (1826–1878):開拓者
- サミュエル・フィールズ:南北戦争の重要人物と噂された。探鉱者
- アーサー・デウィント・フット (1849–1933):技師
- メアリー・ハロック・フット (1847–1938):作家、イラストレーター
- ワイルド・ビル・ヒコック (1837–1876):ギャンブラー、ガンマン
- エミー・ヒル (1953- ):日系・フィンランド系アメリカ人の女優
- キャロル・ヒラード (1936–2007):サウスダコタ州副知事(1995–2003)
- モリー・ジョンソン (?-1883以後):売春宿の女主人
- フリーマン・ノウルズ (1846–1910):政治家
- セス・ブロック (1849–1919):保安官、金物屋の主人
- ジョセフ・ラデュー (1855–1901):探鉱者、実業家、ドーソン・シティの設立者
- ワード・ランバート (1888–1958):カレッジバスケットボールのコーチ。主にパデュー大学を指揮
- ジャック・ラングリッシュ (?-1895):俳優
- キティ・リロイ (1850–1878):ギャンブラー、女性開拓者
- H・R・ロック (1856–1927):写真家
- マダム・モスターシュ (1834–1879):ギャンブラー
- ウィリアム・H・パーカー (1905–1966):元・ロサンゼルス警察署長
- ドロシー・プロヴァイン (1937–2010):女優、ダンサー
- クレイグ・プキ (1957- ):サンフランシスコ・フォーティナイナーズ、セントルイス・カージナルスの元ラインバッカー
- アンジェロ・リズート (1906–67):写真家
- ビル・ラッセル (1949- ):作詞家
- ボブ・シュロアド (1939- ):元・カレッジフットボール、ワシントン・ハスキーズの選手
- ジム・スコット (1888–1957):シカゴ・ホワイトソックスの元選手
- ヘンリー・ウェストン・スミス (1827–1876):初期の開拓者、説教者
- ウィリアム・ランドルフ・スティール (1842–1901):デッドウッド市長、弁護士、兵士、政治家
- アル・スウェレンジン (1845–1904):娯楽産業の事業家
- チャーリー・アター (1838頃-1912以後):開拓者
- アルフレッド・L・ワーカー (1896–1975):映画監督
- クリス・ウィリアムソン (1947- ):ミュージシャン
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Mayor of the city of Deadwood”. January 2, 2014閲覧。
- ^ Ullrich, Jan F. (2014). New Lakota Dictionary (2nd ed.). Bloomington, IN: Lakota Language Consortium. ISBN 978-0-9761082-9-0
- ^ Deadwood Chamber of Commerce
- ^ Hilton, George W. (1990). American Narrow Gauge Railroads. Stanford, California: Stanford University Press. ISBN 0-8047-2369-9.
- ^ “Historic Wildfire in the Black Hills – Deadwood 1959”. National Fire Protection Association. 2008年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月26日閲覧。
- ^ “National Guard engineers end 77 years in Sturgis”. Rapid City Journal (August 16, 2007). 2014年8月21日閲覧。
- ^ a b c d “Deadwood gambling spurred change, but the town's evolution continues”. Rapid City Journal (November 1, 2009). November 18, 2009閲覧。
- ^ Perret, Geoffrey. ""The Town That Took a Chance Archived 2009年10月4日, at the Wayback Machine." American Heritage, April/May 2005.
- ^ a b “Deadwood, South Dakota – Gambling, Historic Preservation, and Economic Revitalization”. USDA. 2010年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月18日閲覧。
- ^ a b “National Historic Landmarks Program: Deadwood Historic District”. National Park Service. 2008年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月10日閲覧。
- ^ “Chinese”. City of Deadwood. November 15, 2010閲覧。
- ^ Edith C. Wong et al., "Deadwood's Pioneer Merchant," South Dakota History (2009) 39#4 pp 283–335
- ^ David J. Wishart (2004). Encyclopedia of the Great Plains. ネブラスカ大学リンカーン校 Press. pp. 140, 141. ISBN 978-0-8032-4787-1
- ^ “Where East Met (Wild) West”. Smithsonian (magazine). November 13, 2010閲覧。
- ^ “US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990”. United States Census Bureau (2011年2月12日). 2011年4月23日閲覧。
- ^ “US Gazetteer files 2010”. United States Census Bureau. 2012年6月21日閲覧。
- ^ “Precipitation Normals 1971–2000” (April 2012). 2012年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月13日閲覧。
- ^ “Climatography of the U.S. Deadwood 1971–2000” (April 2012). April 13, 2012閲覧。
- ^ United States Census Bureau. “Census of Population and Housing”. October 4, 2014閲覧。
- ^ “Population Estimates”. United States Census Bureau. 2014年10月4日閲覧。
- ^ a b “American FactFinder”. United States Census Bureau. 2012年6月21日閲覧。
- ^ Granger, Edward Packard ; illustrated by Paul (1978). Deadwood City. Toronto: Bantam. ISBN 0-553-13994-0