トトネロ
トトネロ(伊: Totonero)は、1980年のイタリアセリエAおよびセリエBにおける八百長スキャンダルである。一部のイタリア人サッカー選手がサッカーの試合を金のために売っていると2人のローマの店員Alvaro TrincaとMassimo Crucianiが打ち明けた後の1980年3月23日に財務警察(Guardia di Finanza)によって暴かれた。
トトネロは「Toto」と「Nero(黒)」からなる単語で非合法の闇サッカー賭博を意味し、転じてこの八百長スキャンダルをも指すようになった。
このスキャンダルにおける主役はセリエAのミラン、ラツィオ、ペルージャ、ボローニャ、アヴェリーノ、セリエBのターラント、パレルモであった。特に、パオロ・ロッシは3年間の出場停止処分を受けた(後に2年間の出場停止処分に軽減)[1]。
クラブへの処罰
[編集]- ミラン(セリエA); セリエBへの降格[2]
- ラツィオ(セリエA); セリエBへの降格[2]
- アヴェリーノ(セリエA); セリエA 1980-81シーズンから勝点-5
- ボローニャ(セリエA); セリエA 1980-81シーズンから勝点-5
- ペルージャ(セリエA); セリエA 1980-81シーズンから勝点-5
- パレルモ(セリエB); セリエB 1980-81シーズンから勝点-5(原判決は無罪)
- ターラント(セリエB); セリエB 1980-81シーズンから勝点-5(原判決は無罪)
判決
[編集]管理職
[編集]- Felice Colombo(ミラン会長); 資格剥奪
- Tommaso Fabretti(ボローニャ会長); 1年間の資格停止
選手
[編集]- Stefano Pellegrini(アヴェリーノ); 6年
- Massimo Cacciatori(ラツィオ); 5年(原判決は資格剥奪)
- エンリコ・アルベルトージ(ミラン); 4年(原判決は資格剥奪)
- ブルーノ・ジョルダーノ(ラツィオ); 3年6カ月(原判決は1年6カ月)
- リオネッロ・マンフレドーニア(ラツィオ); 3年6カ月(原判決は1年6カ月)
- Carlo Petrini(ボローニャ); 3年6カ月
- Guido Magherini(パレルモ); 3年6カ月(原判決は1年6カ月)
- Giuseppe Savoldi(ボローニャ); 3年6カ月
- Lionello Massimelli(ターラント); 3年(原判決は1年)
- Luciano Zecchini(ペルージャ); 3年
- Giuseppe Wilson(ラツィオ); 3年(原判決は資格剥奪)
- パオロ・ロッシ(ペルージャ); 2年(原判決は3年)[1]
- Franco Cordova(アヴェリーノ); 1年2カ月
- Carlo Merlo(レッチェ); 1年(原判決は1年6カ月)
- Giorgio Morini(ミラン); 1年
- Stefano Chiodi(ミラン); 6カ月
- Piergiorgio Negrisolo(ペスカーラ); 5カ月(原判決は1年)
- Maurizio Montesi(ラツィオ); 4カ月
- フランコ・コロンバ(ボローニャ); 3カ月
- Oscar Damiani(ナポリ); 3カ月(原判決は4カ月)
脚注
[編集]- ^ a b UEFA target betting mob, Daily Mail, 2 December 2007.
- ^ a b Italian FA under emergency rule, BBC Sport, 16 May 2006.