ナリカラ要塞
ナリカラ要塞 | |
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ნარიყალა | |
サカルトヴェロ内の位置 | |
旧名称 | 不快要塞 |
概要 | |
所在地 | トビリシ アバノツバニ |
国 | サカルトヴェロ |
座標 | 北緯41度41分16秒 東経44度48分31秒 / 北緯41.68778度 東経44.80861度座標: 北緯41度41分16秒 東経44度48分31秒 / 北緯41.68778度 東経44.80861度 |
標高 | 450 m (1,476 ft) |
入居者 | 公共施設 |
着工 | 4世紀 |
落成 | 4世紀 |
ウェブサイト | |
トビリシ市公式サイト |
ナリカラ要塞 (グルジア語: ნარიყალა モンゴル語: Нарикала 小さい要塞の意味 Narikala)はサカルトヴェロの首都、トビリシを見渡すナリカラ丘にある古代の要塞である。クラ川の畔に位置しており、ナリカラ要塞の麓にはトビリシの名前の由来となった温泉街のアバノツバニがある。
概要
[編集]ナリカラ要塞の城壁2枚が険しいナリカラ丘の上に建てられており、アバノツバニとトビリシ植物園の間に位置している。丘の上には聖ニコラス教会と、13世紀に火事で焼失した教会の跡地にドアが3戸ある1996年から1997年の間に完成した新しく建てられたナリカラ教会がある[1]。 教会の中はフレスコ画で装飾されており、サカルトヴェロの歴史や聖書の一場面を現している[2]。また周囲にはカルトリス・デダ (ジョージアの母像)が聳え立ってる。
歴史
[編集]ナリカラ要塞がこの地に建築されたのは、地政学的要因に因るものである。この地はクラ川の川底が狭く、また土手や続く丘が崖があるが故、戦略的に有利な場所だからである[3]。ナリカラ要塞は4世紀にサーサーン朝の不快要塞 (シュリス・ツィヘ)[注釈 1]の名で建設された[5]。7世紀になるとバグラティオニ朝の建設王 (1089–1125)によって拡張された。その後モンゴル帝国により"ナリン・カラ"、小さな要塞の意[注釈 2]と改名された。今日現存する要塞の殆どは16世紀から17世紀に建てられたものだと推定されている。1827年の地震により要塞の一部分が破損し破壊された。
交通
[編集]トビリシ地下鉄のアヴァラバリ駅からメテヒ橋を渡り徒歩20分程度。なお、2.5ラリ (約140円、2024年3月現在)を払えば、ライク公園からロープウェーでナリカラ要塞のあるナリカラ丘の頂上まで移動できる。ライク公園からは数分で到着し、その間トビリシの美しい街並みを360度見渡すことが可能だ。なお、ロープウェー1台につき乗れるのは5人までであり、営業時間は12時から24時まで。メトロカード使用可能である[6]。
パノラマ写真
[編集]写真
[編集]- ナリカラ要塞
- トビリシ中心街から見たナリカラ要塞
- 要塞の防壁
- ナリカラ要塞と聖ニコラス教会
- ナリカラ要塞 (夜)
- 聖ニコラス教会
- 聖ニコラス教会内部
- 1911年のナリカラ要塞
関連項目
[編集]ナリン・カラ - ロシアダゲスタン共和国のデルベントにある世界遺産
文献
[編集]- カルトリ・ソビエト百科事典 Vol.7, p.321, 1984.
- ჟურნ. „ძეგლის მეგობარი“ pp.8-15, 1977; pp.27-31 1971.
- ჟურნ. „საბჭოთა ხელოვნება“ pp.49-54, Feb.1965
脚註
[編集]出典
[編集]- ^ About Sights – Narikala Fortress
- ^ Narikala Fortress in Tbilisi
- ^ “Narikala Fortress”. My Geo. 10 February 2020閲覧。
- ^ The Georgian Republic. Passport Books. 1992. p. 86.
- ^ Lonely Planet: Narikala Fortress
- ^ “Aerial Cable Car”. My Geo. 10 February 2020閲覧。