ノート:戦列歩兵

出典の明記をお願いします

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参考文献も出典も全く示されていないので、出典の明記タグを貼りました。出典の明記にご協力ください。--Peachkiller 2009年8月19日 (水) 12:38 (UTC)[返信]

日本関係の記述について

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あまり詳しくは知りませんが、以下の点で正確性が疑問です。

  • 幕府でのミニエー銃導入が第二次長州征討後のような書き方になっていますが、その前の1864年にはミニエー銃の導入が始まっています。家茂上洛の際の幕府兵がエンフィールド銃を豊富に装備していたことも記録にあったはず。
  • 鳥羽・伏見の戦いでの行動も、一般には密集していたのは方陣というよりも行軍隊形の縦隊だったからという説明では。そもそも方陣は全方位防御隊形であって、戦闘進撃時は横隊になるのではないかと思うのですが。

独自研究とも疑われます。

  • 幕府方と新政府方の優劣を戦列歩兵か否かで単純化しているようですが、こういう説が主流なのでしょうか?
  • 鳥羽伏見の絵図は、絵図の書き込みでは「桑名兵」とあるのですが、会津兵と説明したのは何か出典によるのでしょうか? たしかに伏見方面では会津兵がいたようですが。

--Snlf1 2010年8月15日 (日) 15:36 (UTC)[返信]

戦列歩兵の廃止された時期について

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本記事では戦列歩兵が消滅した時期を19世紀半ばとしていますが、歩兵から密集陣形を無くして散兵を中心とした運用にする戦闘教義は 19世紀末期のボーア戦争の戦訓を受けて完成した「ボーア戦術」が初めてであり、 ボーア戦術を採用した歩兵操典が各国に採用され始めるのは日露戦争後のこと(独軍1906年歩兵操典等)ですから、戦列歩兵の廃止時期はここと考えたほうがいいのではないでしょうか? --220.219.106.186 2016年8月23日 (火) 09:53 (UTC)[返信]