ハンス・アールマン

1943年、ストックホルムトゥーレ館 (Thulehuset) で開催されたノルウェー博覧会 (Norska utställningen 1943) で、インゲボー王女に説明するハンス・アールマン。

ハンス・ヤコブ・コンラッド・ウィルヘルムソン・アールマン(Hans Jakob Konrad Wilhelmsson (W:son) Ahlmann、1889年11月14日 - 1974年3月10日)は、スウェーデン地理学者カールスボリ (Karlsborg (en)) に生まれ、ヘーゲルステン (Hägersten (en)) で没した。

概要

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アールマンは、1915年に、ラグンダション湖 (Ragundasjön) に関する論文でストックホルム大学からPh.D.を取得した[1]。同年、ストックホルム大学で地理学の准教授となり、1920年にはウプサラ大学の地理学准教授となった。著作には、ノルウェーの氷河を詳細に検討した『Geomorphological studies in Norway(ノルウェーの地形学的研究)』(1919年)や、イタリアイタリア領リビア文化地理学研究など、人文地理学分野での業績があった。その後アールマンは、地理学の教授に昇進し、1939年スウェーデン王立科学アカデミー会員に選出された。同年には、北極圏における探険と氷河研究に対し、イギリス王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を受賞した[2]

第二次世界大戦中、アールマンはスウェーデン=ノルウェー連合 (Svensk-norska föreningen) の担い手となり、1950年から1956年まで、在ノルウェー・スウェーデン大使としてオスロに駐在した。

南極大陸の地名

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南極大陸アールマン氷河 (Ahlmann Glacier) とアールマン山脈 (Ahlmann Ridge) は、アールマンにちなんで命名されたものである。アールマン氷河は、1947年に、フォークランド諸島調査所 (Falkland Islands Dependencies Survay, FIDS) によって命名された[3]。アールマン山脈は、1949年から1952年にかけてのノルウェー=イギリス=スウェーデン南極探検隊 (the Norwegian-British-Swedish Antarctic Expedition, NBSAE, 1949-52) によって調査され、この探検隊を組織したスウェーデンの委員会委員長であったアールマンにちなんで命名された[4]

脚注

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  1. ^ Ahlmann, Hans W:son (1915). Ragundasjöns geomorfologi. Stockholm: Norstedt  Libris 1630754
  2. ^ Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2014年4月14日閲覧。
  3. ^ Antarctica Detail, Ahlmann Glacier”. U.S. Geological Survey. 2014年4月14日閲覧。
  4. ^ Antarctica Detail, Ahlmann Ridge”. U.S. Geological Survey. 2014年4月14日閲覧。