ピエロー (プロレスラー)
ラ・ベスティア・デル・リング La Bestia del Ring | |
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プロフィール | |
リングネーム | ラ・ベスティア・デル・リング ピエロー[1] コマンダンテ・ピエロー[1] ポデル・メキシカ[1] ポデル・ボリクア[1] ポデル・インディオ[1] トロ・ブランコ[1] ドクトル・ケント[1] |
本名 | アーサー・ムニョス・サンチェス[1] |
身長 | 180cm[1] |
体重 | 105kg[1] |
誕生日 | 1969年4月7日(55歳) |
出身地 | メキシコ[1] |
トレーナー | ディアブロ・ベラスコ[1] エル・イホ・デル・グラディエーター[1] |
デビュー | 1994年[2] |
アーサー・ムニョス・サンチェス(英語: Arthur Muñoz Sánchez、1969年4月7日 - )は、メキシコの男性プロレスラー、覆面レスラー。
現在はラ・ベスティア・デル・リング(英語: La Bestia del Ring)のリングネームで活動中。
来歴
[編集]プロレスラーになるため、ディアブロ・ベラスコが主宰するディアブロ・ベラスコ・ジムにてトレーニングを開始し、1994年に覆面レスラー、ドクトル・ケント(Dr. Kent)のリングネームでプロレスデビューを果たす。その後、リングネームをトロ・ブランコ(Toro Blanco)と改めて活動し、CMLL参戦時おいては、ポデル・インディオ(Poder Indio)の名義で活動。
2001年6月、ピエロー・ジュニア率いるロス・ボリクアス(Los Boricuas)の一員となり、ポデル・ボリクア(Poder Boricua)に改名。9月28日、アニベルサリオ 68にて、エル・マルクス・ジュニア、ヴィオレンシアとのトリオで、ナショナルトリオ王座を保持するミステル・ニエブラ & オリンピコ & サファリ組と対戦したが、敗戦し王座奪取とはならなかった。
2002年1月、ロス・ボリクアスから脱退。これを機にかつてのボリクアスのチームメイト、ヴェネーノ & ヴィオレンシアと抗争を繰り広げる。7月よりポデル・メキシカ(Poder Mexica)と改名し、同月14日、ドミンゴス・アレナ・メヒコにて、ミステル・メヒコとのタッグで、ヴェネーノ & ヴィオレンシア組とコントラ・マッチで対戦。この試合に敗戦し、メヒコは髪の毛を刈られ、自身は身に着けていたマスクを剥がされて正体を明かした。
その後はリング上から離れ、長らくセミリタイア状態が続いていたが、2013年5月よりリングネームをコマンダンテ・ピエロー(Comandante Pierroth)と改めて、CMLLに復帰を果たし、ピエロシート、ペケーニョ・ヴィオレンシア、ラ・コマンダンテ、セウシスらと共にコマンドー・カリベーノ(Comando Caribeno)を結成した。その後、チームにミステリオッソ・ジュニア、エル・サグラドを引き入れ、CMLLの前座戦線を賑わせる。
2016年3月18日、オメナヘ・ア・ドス・レジェンダスにて、マキシモ・セクシー vs ルーシュの試合で、入場の際にルーシュの替え玉として登場し、そのままルーシュのセコンドにつくという行動に出る。同月25日、アレナ・メヒコ金曜定期戦にて、ルーシュ、ラ・マスカラとのトリオで入場。試合前にマスカラからロス・インゴベルナブレス(Los Ingobernables)のTシャツを差し出されると、Tシャツに袖を通して、正式にインゴベルナブレスのメンバーとして加入を果たした。