ブアケ
ブアケ Bouaké | |
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位置 | |
ブアケ(Bouaké)の位置 | |
位置 | |
座標 : 北緯7度41分 西経5度1分 / 北緯7.683度 西経5.017度 | |
行政 | |
国 | コートジボワール |
地方 | バンダマ渓谷地方 |
州 | グベケ州 |
市 | ブアケ |
市長 | Fanny Ibrahima |
人口 | |
人口 | (2014年現在) |
市域 | 536,189人 |
人口密度 | auto人/km2 |
その他 | |
等時帯 | グリニッジ標準時 (UTC+0) |
ブアケ(フランス語:Bouaké)は、コートジボワール北東部のバンダマ渓谷地方南部のグベケ州の州都。 2014年の人口は約53.6万人。 コートジボワール第2の都市であり、北部の中心都市である。 内戦中は北部の反政府勢力であるコートジボワール新勢力がここに本拠を置いており、事実上北部勢力の首都となっていた。
地理
[編集]森林地帯の北端、内陸部の標高312mの高原に位置する。 バウレ人の中心都市である。
経済
[編集]旧首都アビジャンと、ブルキナファソの首都ワガドゥグーを結ぶアビジャン・ニジェール鉄道の中間地点にあり、交通の要衝である。 産業としては、タバコ工業や綿やサイザル麻の工業が盛んである。 また、近郊では金や水銀、マンガンが採掘される。
歴史
[編集]1914年、州都に昇格した。
1996年、ブアケ大学が開校した。
2002年9月19日、コートジボワール内戦の際、ブアケでも反乱軍が蜂起。 ブアケ大学が閉校した。 ギヨーム・ソロ率いるコートジボワール新勢力(FN)がローラン・バグボ大統領の排除を試みたが失敗した。 10月17日にブアケで停戦協定が調印されるも、この内戦の段階でFNが急速に勢力を伸ばし、ブアケを首都として北部の地域を占領し、支配下に置いた。 停戦後も南北の分断は解消されず、フランスと国連平和維持軍が監視した。
2004年11月4日、政府軍は「領土解放作戦」の初戦として、スホーイ25でブアケを空爆した。
2005年4月、UNESCOの支援によってブアケ大学が再開した。
姉妹都市
[編集]出身者
[編集]- コロ・トゥーレ:サッカー選手
- ヤヤ・トゥーレ:サッカー選手
- イブラヒム・トゥーレ:サッカー選手
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 第1次コートジボワール内戦:2002年9月19日~2007年3月4日
- 2010年コートジボワール大統領選挙:2010年10月31日~2010年11月28日
- 2010年コートジボワール危機:2010年11月28日~2011年4月11日
- 第2次コートジボワール内戦:2010年11月28日~2011年4月11日