プロイセン東線

プロイセン東線
基本情報
ドイツの旗 ドイツポーランドの旗 ポーランドロシアの旗 ロシア
起点 ベルリン
終点 チェルニシェフスコエ
路線番号 200.5、209.26(ドイツ鉄道)
203、9、204(ポーランド国鉄)
開業 1851年
運営者 ドイツ鉄道
ポーランド国鉄
ロシア鉄道
路線諸元
路線距離 742.3km
軌間 1,435 mm(ベルリン - カリーニングラード)
1,520mm(ブラニェヴォ - キーバルタイ)
電化方式 第三軌条方式 直流750V(ベルリンSバーン)
直流3kV(トチェフ - マルボルク)
最高速度 120 km/h
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プロイセン東線 (プロイセンひがしせん、ドイツ語: Preußische Ostbahn)とは、ドイツ連邦共和国の首都ベルリンベルリン東駅からポーランド共和国グダニスクおよびロシア連邦カリーニングラードを経てリトアニアとの国境地帯のチェルニシェフスコエに至る鉄道路線である。

概要

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停車場・施設・接続路線
STR
ベルリン市街線
SBHF
ベルリン東駅
STR exKBHFa
0.1 旧ベルリン東駅
SBHF exSTR
ベルリン・ワルシャワ通り
STR xABZg+l
Anschluss Bahnbetriebswerk
ABZgrxl eKRZu
zur Ringbahn
TSBHFu KRZu
2.3 ベルリン東交差駅 ベルリン環状線
ABZgr STR
ニーダーシュレージッシュ-メルキッシュ線
KRZu KRZu
フランクフルト・アリー - ルンメルスブルク線
SHST STR
3.4 ベルリン・ノェルドナー広場
STR ABZg+l
von der Ringbahn
SBHF BHF
4.7 ベルリン・リヒテンベルク
STR eABZgl
旧ヴリーツェン線
SHST STR
ベルリン・フリードリヒスフェルデ東
KRZu ABZglr
zum Außenring
STR2u STR3
STR+1 STR+4u
STR ABZgl
Sバーン緩行線(Springpfuhl方面)
KRZu KRZu
ビースドルフ交差点、ベルリン外環状線
ABZg+lr KRZu
vom Außenring
STR SHST
8.6 ベルリン・ビースドルフ
eABZg+r STR
VnK-Strecke (現在U5線)
STR SBHF
9.8 ベルリン・ヴーレタール
DST SBHF
10.8
11.7
ベルリン・カウルスドルフ
HST SBHF
12.3 ベルリン・マールスドルフ
STR+GRZq STR+GRZq
ベルリン / ブランデンブルク州
STR SHST
14.9 ビルケンシュタイン
DST SBHF
16.6 ホッペガルテン (マルクト)
eABZgl eABZgr
STR eABZg+l
Anschluss Altlandsberger Kleinbahn
STR SHST
18.4 ノイエンハーゲン (ベルリン近郊)
DST STR
21.2 フレーダースドルフ操車場
STR SBHF
22.7 フレーダースドルフ (ベルリン近郊)
ABZgr STR
フレーダースドルフ - リューダースドルフ線
STR SHST
24.6 ペタースハーゲン北駅
eABZgl eKRZ
シュトラウスベルク鉄道連結線
BHF SBHF
27.6 シュトラウスベルク
ABZgl ABZg+r
eABZgr STRl
旧S-H線、S-SN線
BS2l BS2c3
HST
31.2 ヘレン湖
BHF
33.7 レーフェルデ
eBHF
41.6 ローテエス・ルーフ
eABZgl
旧ブッコー小鉄道連絡線
BHF
45.8 ミュンヒェベルク (マルクト)
eABZgr
Müncheberger Kleinbahn連絡線
HST
50.7 オーバースドリフ
HST
53.5 トレブニツ (マルクト)
HST
58.4 アルト・ローゼンタール
BHF
63.5 ゼーロー=グーゾー
THSTu
67.2 ヴェルビヒ エーバースヴァルデ - フランクフルト線
ABZg+l
レツィン方面
DST
68.3 ヴェルビヒ貨物線駅
HST
74.5 ゴルツォー (オーダーブルーフ)
BHF
77.1 ゴルガースト
WBRÜCKE1
Alte Oder
eABZgr+r
von und nach Frankfurt (Oder)
BHF
81.0 キュストリン=キーツ
WBRÜCKE1
Obervorfluter
eBHF
82.5 旧キュストリン旧市街駅
TZOLLWo
82.990
342.274
オーダー川、↑ドイツ / ポーランド
ABZgl
Kostrzyn R 572 / T 15分岐線
TBHFu
340.4 コストシン (オドロン) ヴロツワフ - シュチェチン線
ABZgl
Bydgoszcz方面
BHF
335.0 ドンブロシン
BHF
329.6 カミエニ・マウィ
BHF
321.0 ヴィトニツァ
BHF
313.8 ノヴィニ・ヴィエルキエ
BHF
308.2 ボグダニエツ
BHF
305.0 ウポヴォ
BHF
300.6 ゴルズーフ・ヴィエルコポルスキ・ヴィエプルジツェ
eABZg+l
Myślibórz方面
BHF
297.1 ゴルズーフ・ヴィエルコポルスキ
ABZgr
Zbąszynek方面
BHF
283.9 サントク
BHF
276.3 グールキ・ノーテツキエ
BHF
271.5 サルビエヴォ
eABZg+l
旧フリーデベルク鉄道
BHF
268.2 ストジェルツェ・クライェニスキエ
BHF
261.5 スタレ・クロヴォ
BHF
251.0 ノヴェー・ドレジェンコ
ABZg+r
スクヴィエジナ方面
BHF
244.9 スタレ・ビエリツェ
STR+GRZq
ルブシュ県 / 大ポーランド県
ABZg+l
ポズナン - シュチェチン線
BHF
237.9 クジージュ
ABZgrxl
P-Sz線、W-Krz線
BHF
226.4 ヴィエレニ
BHF
214.0 ビエルナトヴォ
BHF
209.2 シエドリスコ・チャルンコヴスキ
BHF
202.1 トジュシアンカ
BHF
197.4 ビアワ・ピルスカ
BHF
188.3 ストブノ
ABZg+l
ピワ - ウストカ線、ピワ - ウリコヴォ線
BHF
179.5 ピワ中央駅
ABZgr
ピワ - ブゾヴォ・ゴライ線
ABZgr
ピワ - ポズナン線クトノ - ピワ線
BHF
176.0 ピワ・ポドラシエ
eHST
173.1 プヲチチュノ
BHF
167.3 スクールカ
BHF
161.5 ドルニック
BHF
156.0 クライェンカー
ABZg+l
ワウチ - ズヲテゥーフ線
BHF
147.1 ズヲテゥーフ
ABZgr
旧スヴィエチェ - ズヲテゥーフ線
BHF
138.3 ザックジェヴォ・ズヲトヴスキエ
BHF
126.4 リプカ・クライェニスカ
STR+GRZq
大ポーランド県 / ポモージェ県
BHF
115.1 ブコヴォ・チュウホフスキエ
BHF
108.0 ヴィエズホヴォ・チュウホフスキエ
HST
104.2 モシュチェニッツァ
ABZg+lxr
Sycyecinek, Więcbork方面
BHF
96.2 ホイニッツェ
ABZglr
Kościerzyna, Tuchola方面
HST
89.2 クロヤンティ ~1959
BHF
84.1 リッテル
HST
80.8 リッテル・ヴィーシ
HST
74.7 グトヴィエツ
BHF
67.0 チェルスク
ABZglr
K-B線連絡
KRZu
コシュツィエルジナ - ビドゴシュチュ線
BHF
59.9 ヲング
BHF
56.1 チャーマ・ヴォダ
HST
51.5 カミエンナ・ヴォダ
BHF
46.9 カリスカ
HST
42.3 ビトニア
BHF
39.4 ズブレヴォ
HST
36.0 ピンチン
BHF
32.7 ピエシエニツェ
eABZg+l
スカルシェヴィ
BHF
24.0 スタロガルト・グダニスキ
ABZgr
クヴィジン方面
HST
17.5 シュペンガヴスク ~1959
BHF
12.8 スヴァロジン
HST
5.4 ロキトキ(トチェフ)
ABZg+r
Bydgoszcz方面
HST
3.6 トチェフ・スホストジギ
ABZgl+l
ワルシャワ - グダニスク線
BHF
0.0
296.2
トチェフ
ABZgr
Bydgoszcz方面
LSTR
ワルシャワ - グダニスク線参考
BHF
277.9
0.3
マルボルク
ABZgr
クヴィトジン方面
ABZgr
W-Gd線, オルシュティン方面
HST
5.0 クルーレヴォ=マルボルスキエ
BHF
11.0 スターレ・ポレ
STR+GRZq
ポモージェ県 / ヴァルミア=マズールィ県
HST
14.3 フィシェヴォ
BHF
18.7 グロノヴォ・エルブロンスキエ
eABZg+r
オストルーダ方面
ABZg+l
エルブロンク - ブラニエヴォ線
BS2+l BS2c4
BHF exKBHFa
29.0 エルブロンク ロシア軌間の始点
BHF exSTR
37.2 コモロヴォ・ジュワヴスキエ
BHF exSTR
41.3 ボガチェヴォ
ABZgr exSTR
モロンク方面
eHST exSTR
49.6 旧ステグニ
eBHF exSTR
53.7 旧スヲビティ
BHF exSTR
60.8 ムウィナリ
eBHF exSTR
65.6 旧クロヴォ・ブラニエフスキエ
eBHF exBHF
71.2 旧フルシシエル
eBHF exSTR
79.0 旧ベモヴィズナ
eABZg+l exKRZ
旧エルブロンク - ブラニエヴォ線
ABZg+r exSTR
ピエニオンジュノ方面
KBHFxe KBHFxa
83.7 ブラニエヴォ
xGRENZE GRENZE
90.6
1339.7
ポーランド / ロシア
exBHF BHF
1334.6 マモノヴォ
xKRZ ABZgr
Bagrationowsk方面
exSTR HST
1333 O.p. 1333 km
exBHF BHF
スナメンカ・ノヴァヤ
exBHF BHF
プリモルスコア・ノヴォエ
exSTR HST
ソスノヴィ・ボル
exBHF BHF
1314.1 ラードゥシキン
exSTR HST
1312 O.p. 1312 km
exHST STR
旧ポェルシュケン
exBHF STR
旧ノヴォモスコヴスコエ
exSTR HST
1307 O.p. 1307 km
exSTR HST
1305 O.p. 1305 km
exKRZ eABZg+r
Olsztyn方面
exBHF BHF
スヴェトローエ
exBHF BHF
1296 ゴルベヴォ
exHST STR
ラスキノ
exSTRr BHF
カリーニングラード・マモノヴスキー
HST
キエフスカヤ
STR+l ABZgr
DST DST
Kaliningrad-Sort.
ABZgl+l KRZo
カリーニングラード - ソヴィエツク線
STR BHF
1285 カリーニングラード南駅 旧ケーニヒスベルク中央駅
BS2l BS2r
ABZgr
南部鉄道、K-Tsch線

かつてのドイツ帝国の首都ベルリンからロシア帝国との国境であったチェルニシェフスコエ(アイトクーネン)まで延びる全長742.3kmの路線である。最初の区間は1851年に開業し、本線は1871年に全線開通した。

プロイセン東線の本線は現在ドイツ、ポーランド、ロシアの鉄道会社がそれぞれ運営して、合わせて六つの路線に分割されている。

歴史

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1840年以降プロイセン軍はロシア帝国との国境地帯への鉄道の必要性を主張していた。民間では関心が低かったことから、1845年にフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が直接建設の指示を出すに至った。当初は東プロイセン州議会の反対などがあったが、三月革命後の1849年に建設開始が決定された。

1851年7月27日にプロイセン東線で最初の区間としてシュナイデミュール(現:ピワ) - ブロンベルク(現:ブィドゴシュチュ)駅間145kmが開業した。続いて1852年8月6日にはディルシャウ(現:トチェフ)経由でダンツィヒ(現:グダニスク)に至る区間が開業した。この当時はクロイツ(現:クシシュ・ヴィエルコポルスキ英語版) - ベルリン間をベルリン-シュテッティン線およびシュタルガルト(現:スタルガルト)-ポーゼン(現:ポズナン)線経由で運行していた。

1852年10月19日にはマリエンブルク(現:マルボルク)からエルビング(現:エルブロンク)経由でブラウンスベルク(現:ブラニェヴォ)に至る区間が、1853年8月2日にはケーニヒスベルク(現:カリーニングラード)までの区間が開業した。ノガト川とヴィスワ川を渡る橋梁部分は1857年に完成し、ディルシャウ - マリエンブルク間が開業した。時を同じくしてキュストリン - フランクフルト間を結ぶ短絡線とキュストリンからランツベルク・アン・デア・ヴァルテ(現:ゴジュフ・ヴィエルコポルスキ)経由でクロイツに至る路線が開業した。ベルリンへはニーダーシュレージッシュ-メルキッシュ線(NME)経由で結ばれるようになり距離が短縮された。NMEは1852年に国有化されプロイセン邦有鉄道に編入された。

1866年10月1日にはキュストリン - グーゾウ間が、翌1867年10月1日にはグーゾウからシュトラウスベルク経由でベルリン東駅に至る区間が開業してベルリン - キュストリン間が更に短縮された[1]

1860年6月6日にはケーニヒスベルクからグンビンネン(現:グセフ)およびシュタルペーネン(現:ネステロフ)経由でインステルブルク(現:チェルニャホフスク)に至る区間が、同年8月15日には国境手前のアイトクーネン(現:チェルニシェフスコエ)までの区間が開業した。乗り換えはこの駅で行われ、ロシア帝国側にはヴェルジュボロヴォ(ヴィルバリス)に国境駅としてキーバルタイ駅が設置された。後に標準軌から広軌への台車交換も行われるようになった。1871年にはシュナイデミュール - コーニッツ(現:ホイニツェ英語版) - ディルシャウ間にブロンベルクを回避するルートで短絡線が建設され、本線が全線開通した。この区間の開業後に既に複線化されていたベルリン - キュストリン間にに加え、キュストリン以東の複線化工事が開始された。1882年にはシュレージエン駅(現在のベルリン東駅)が現在地に移転した。

プロイセン東線はヨーロッパ屈指の長距離路線であり、東西方向を結ぶ重要幹線の一つであった。第一次世界大戦前は北急行なども運行されており黄金時代であった。1895年時点で1日7往復の長距離貨物列車と同15往復の長距離旅客列車が運行されていた。1892年には長距離急行列車(D-Züge)の運行が開始された。

第一次世界大戦後

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第一次世界大戦後にプロイセン邦有鉄道はドイツ国営鉄道に再編された。ヴェルサイユ条約によってポーランド回廊が生じた。これによって自由都市ダンツィヒおよび東プロイセンがドイツ本土から切り離され東プロイセンは飛び地となった。プロイセン東部線は東プロイセンとドイツ本土の間を回廊列車で結ぶ役割を果たし続けた。こうした戦間期における領土および鉄道のあり方が後のナチス・ドイツの台頭の一因にもなった。

1939年夏には1日4往復の急行列車、12往復のD-Zügeおよび1往復の長距離回廊列車(ベルリン - ケーニヒスベルク)が運行されていた。ケーニヒスベルクからベルリンまでの590kmを6時間36分で結んだ。

第二次世界大戦末期の1945年1月22日にケーニヒスベルクからベルリンへの列車が運行されたのを最後に列車の運行は不可能になった。

現況

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東西ドイツ統一後の1991年から「東線(ドイツ語: Ostbahn)」 の名称が再び用いられるようになった。

オーデル・ナイセ線第二次世界大戦におけるドイツの敗北によって制定されたものであり、プロイセン東線のうちドイツ領として残った区間はベルリンからキュストリン・キーツ駅の少し東のオーデル川までとなった。ポーランドおよびロシア領となった区間の大部分は単線の支線として用いられている。チェルニシェフスコエ駅をはじめ、かつての国境駅の役割は極めて小さなものになった。最近では国際長距離列車は2009年まで運行されていたD-448/449列車(ベルリン - ワルシャワ)がピワまで当線を走行したのみである。

ドイツ

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ミュンヒェベルク駅付近

ベルリンからポーランドとの国境のキュストリン・キーツに至るまでの区間の長距離線はソビエト連邦への賠償のために単線化された。再複線化が行われたのはトレブニッツ - ゼーロウ=グーゾウ間およびキュストリン・キーツ - ポーランド国境間のみである。電化はされておらず、列車はニーダーバルニム鉄道ドイツ語版によって運営されている。2006年12月10日にはボンバルディア・タレントのディーゼル車の運行が開始された。同年12月22日には60年ぶりに一部区間の最高時速が120km/hに引き上げられたが、所要時間は変化していない。

ベルリン東駅からシュトラウスベルク駅に至る区間はSバーン5号線が並行している[2][3]

ポーランド

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ドイツ国境 - トチェフ間はポーランド国鉄203号線、トチェフ - マルボルク間は同9号線、マルボルク - ロシア国境間は同204号線である。

コストシン - ピワ間は複線、ピワ - グトヴィエツ間は単線である。グトヴィエツ - ボガチェヴォ間は現在再複線化工事中である。ボガチェヴォ - ブラニェヴォ(ロシアとの国境駅)間は単線である。エルブロンク - カリーニングラード間は広軌(ロシアゲージ)の線路が標準軌の線路に併設されているが、エルブロンク - ブラニェヴォ間については廃止されており使用不可である。トチェフ - ボガチェヴォ間については電化されている。都市から離れた人口が希薄な地域を経由することから輸送量は少ない。

ロシア

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カリーニングラード南駅(旧ケーニヒスベルク中央駅)

カリーニングラード - チェルニシェフスコエ(リトアニアとの国境駅) - キーバルタイ(リトアニア領)間はカリーニングラードからロシア本土への回廊列車が運行される重要路線である。カリーニングラード鉄道支社に属し、ロシアゲージに改軌された。現在のリトアニアとの国境管理駅はネステロフである。リトアニアがソビエト連邦に併合された後に国境管理機能が必要なくなったことからチェルニシェフスコエ駅が廃止された。ロシア鉄道は現在ネステロフ駅が容量不足であることから国境駅としてチェルニシェフスコエを復活させる計画が存在する。マモノヴォからカリーニングラードの手前までの区間は広軌(ロシアゲージ) と、かつて使用されていた標準軌の両方が併設されている。広軌の線路は西からカリーニングラード南駅(旧ケーニヒスベルク中央駅)への伝統的なルートを経由する一方、標準軌は南にそれて東から同駅に到達する。

出典

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関連項目

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