プロブス
プロブス Probus | |
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ローマ皇帝 | |
プロブス帝の胸像 | |
在位 | 276年-282年9月or10月 |
全名 | マルクス・アウレリウス・プロブス Caesar Marcus Aurelius Probus Augustus |
出生 | 232年8月19日 パンノニア・インフェリオル属州シルミウム |
死去 | 282年9月or10月(満50歳没) シルミウム |
継承 | カルス |
配偶者 | 名前不明 |
子女 | プロバ |
父親 | ダルマティウス |
母親 | 名前不明 |
マルクス・アウレリウス・プロブス(Marcus Aurelius Probus, 232年 - 282年)は、軍人皇帝時代のローマ皇帝(在位:276年 - 282年)。
生涯
[編集]ローマ属州パンノニアの州都シルミウムの出身であり、若年時より軍隊に志願、ウァレリアヌス帝の治世下で出世を遂げ、軍団長に抜擢された。
272年、皇帝アウレリアヌスによるパルミラ帝国への征討戦に従事し、パルミラ支配下にあったアエギュプトゥス(エジプト)を占領して勝利に貢献した。また、アウレリアヌスがローマへの帰路につくに際しては、パルミラ王国が支配していた東方全域の防衛の任を受けた。
276年皇帝タキトゥスがシリアにて陣没した後、東方属州の軍の支持を受けて皇帝に名乗りを挙げ、西方属州及び元老院が支持したフロリアヌスと対峙したものの、フロリアヌスが暗殺されたことで解決をみた。
治世の大半をライン川・ドナウ川戦線での蛮族迎撃に従事。軍人としての能力は高くローマ帝国への蛮族の侵入はほとんど撃破し、逆に蛮族の地に攻め込み国境の安定を図ることもなしえた。一方でローマ帝国内での内乱が絶えず発生し、280年にはエジプトでサトゥルニヌスらの反乱を鎮圧した。また荒廃した農地を復興させるという重要事を手掛けるが、それを担当した軍内に反発が生まれ、282年、ペルシア戦役に向かう途中で兵士たちに暗殺された。
人柄
[編集]エウトロピウスは彼の人柄をこう記している。
プロブス帝は公明正大でやる気に満ちた熱血漢であり、軍隊内での声望はアウレリアヌス帝に匹敵し、慈悲深さという面では勝っていた
参考文献
[編集]- エウトロピウス 首都創建以来の略史第九巻