マイケル・キネーン

マイケル・キネーン
2009年WSJS
基本情報
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
出身地 ティペラリー県キレノール
生年月日 (1959-06-22) 1959年6月22日(65歳)[1]
身長 163cm[1]
体重 51.5kg[1]
血液型 AB型[1]
騎手情報
所属厩舎 {{{厩}}}
初免許年 1976年[1]
免許区分 {{{区}}}
騎手引退日 2009年[2]
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マイケル・キネーンMichael Kinane, 1959年6月22日[1] - )はアイルランドの元騎手である。

ティペラリー県出身。香港における名前の中文表記は「靳能」

20年以上に渡りアイルランド、イギリスフランスクラシック競走で活躍し、2000ギニーは3度、エプソムダービーを3回、そしてアメリカ合衆国でもベルモントステークスに勝った世界を代表する名騎手のひとりである。1988年から2004年の間に12回アイルランドリーディングジョッキーになっている。

トミー・キネーン騎手で、1978年チャンピオンハードルモンクスフィールドで制したナショナルハント(イギリス・アイルランドの障害競走のこと)のリーディングジョッキーである。

略歴

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1975年、アイルランドの調教師リアム・ブラウンに弟子入り。同年3月19日にレパーズタウン競馬場で初勝利。1978年にアイルランドの見習騎手チャンピオンとなる。

1982年アイリッシュ2000ギニーをダラモナークで優勝しクラシック初制覇。1984年からはダーモット・ウェルド1998年からはエイダン・オブライエン2004年からはジョン・オックス主戦騎手の契約を交わしており、他ジョン・マグナー香港デヴィッド・オートン厩舎とも関係が深い。ロンシャン競馬場エプソム競馬場の大舞台を得意としている[要出典]

1999年エルコンドルパサー凱旋門賞に出走した際にはモンジューで、2005年ゼンノロブロイインターナショナルステークスに出走した際にはエレクトロキューショニストで、それぞれ海外遠征した日本馬を打ち負かしていることで知られる。そのためジャパン・キラーの異名を持つ。ただし日本馬に乗るとなかなか勝てない。(例外は1999年阪神3歳牝馬ステークスヤマカツスズラン)

日本の競馬雑誌『サラブレ』において、日本のGI競走に関する評論を行っていた[要出典]

2007年12月19日に自身初となる日本中央競馬会の短期免許を12月22日12月23日の2日間だけ取得したことが発表された[1]。身元引き受けは堀宣行厩舎と吉田和美オーナーで、第52回有馬記念では堀厩舎所属で吉田の所有馬であるロックドゥカンブに騎乗した。同レースには初参戦であったが、結果は4着であった。

2009年凱旋門賞をシーザスターズで制し同レース3度目の制覇を成し遂げた[2]

同年12月、現役引退を表明した[2]

主な勝鞍

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アイルランドの旗アイルランド

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イギリスの旗イングランド

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フランスの旗フランス

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イタリアの旗イタリア

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ドイツの旗ドイツ

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スロベニアの旗スロバキア

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  • スロバキアダービー - Temirkanov(1998年)

アメリカ合衆国の旗アメリカ

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カナダの旗カナダ

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日本の旗日本

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香港の旗香港

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インドの旗インド

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  • インド1000ギニー - Nauvkhal(1986年)
  • インド2000ギニー - Eversun(1984年)、Sir Bruce(1985年)
  • インドオークス - Revelation(1985年)、Silver Haven(1986年)、Golden Treasure(1990年)
  • インドダービー - Sir Bruce(1986年)、Cordon Bleu(1988年)、HotStepper(2008年)
  • カルカッタ1000ギニー - Wheels(1983年)
  • ゴルコンダダービー - Deccan Star(1984年)

オーストラリアの旗オーストラリア

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g M.キネーン騎手に短期騎手免許交付”. 日本中央競馬会 (2007年12月19日). 2008年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月30日閲覧。
  2. ^ a b c 最高の一年を最後の一年に、マイケル・キネーン騎手が引退”. 競馬ブック (2009年12月12日). 2024年12月30日閲覧。

外部リンク

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