マコーム (駆逐艦)
マコーム | |
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基本情報 | |
建造所 | バス鉄工所 |
運用者 | アメリカ海軍 海上自衛隊 中華民国海軍 |
級名 | グリーブス級駆逐艦 |
艦歴 | |
起工 | 1940年9月3日 |
進水 | 1941年9月23日 |
就役 | 1942年1月26日 |
退役 | 1954年10月19日 |
最期 | 1954年10月19日に日本へ貸与、1970年2月1日除籍 1970年にアメリカへ返還、同年8月に中華民国へ売却 1978年に解体 |
改名 | マコーム (建造時) あさかぜ (1954年) 咸陽 (1970年) |
要目 | |
排水量 | 1,630トン |
長さ | 348 ft 3 in (106.15 m) |
幅 | 36 ft 1 in (11.00 m) |
吃水 | 11 ft 10 in (3.61 m) |
推進 | 50,000軸馬力 (37 MW); ボイラー4基 スクリュープロペラ2基 |
速力 | 37.4ノット (69 km/h) |
航続距離 | 6,500海里 / 12ノット (12,000 km / 22 km/h) |
乗員 | 士官16名、下士官兵260名 |
兵装 | 5インチ(127mm)両用砲 x 5 0.5インチ(12.7mm)機銃 x 6 20mm高射機関砲 x 6 21インチ(53cm)魚雷発射管 x 10 爆雷投射器 x 2 |
マコーム(USS Macomb DD-458/DMS-23)は、第二次世界大戦中にアメリカ海軍が建造したグリーブス級駆逐艦の1隻。艦名はウィリアム・H・マコーム提督(1819–1872)およびデイビッド・B・マコーム提督(1827–1911)に因む。
経歴
[編集]マコームは1940年9月3日にメイン州バースにあるバス鉄工所にて起工され、1941年9月23日に進水式が行われた。。1942年1月26日にW. K.デュバルを艦長に迎えて就役した。
第二次世界大戦
[編集]大西洋
[編集]就役後のマコームは大西洋で船団護衛の任務に当たった。 1944年4月20日、マコームは地中海へ移動し、 アルジェリア沖で対潜水艦任務を遂行した。 5月18日、マコームは72時間に及ぶ潜水艦追跡を開始し、独潜水艦U-616を撃沈した。 1944年8月中旬に南フランスへの侵攻に参加した後の11月15日に第20水雷隊(Mine Division 20)に編入され、また高速掃海艇に艦種変更が行われた。
太平洋
[編集]第20水雷隊は太平洋戦線での作戦に参加するべく1945年1月3日に出港した。3月24日、沖縄沖に到達し、侵攻に先駆けた掃海を行った。その後は海岸周辺や港湾周辺に展開した小型掃海艇の支援に当たる。5月3日にマコームは神風特別攻撃隊の攻撃を受け(菊水五号作戦)、一機が命中した。サイパンで修理中に終戦となった。 8月13日、 マコームは日本へ向かう第3艦隊と合流し、8月29日に東京湾へ入港した。
1945年9月4日に東京湾を出発し、日本近海において掃海作業に従事した。
戦後
[編集]その後、マコームはサウスカロライナ州チャールストンを拠点に大西洋やカリブ海などでの訓練任務に従事した。1949年、1951年、1953年には、第6艦隊所属艦として地中海に派遣されている。1954年7月、 マコームは予備役艦艇となる。10月19日には相互防衛援助法の元で同型艦のエリソンとともに日本政府に供与され、海上自衛隊においてあさかぜ型護衛艦はたかぜ(DD-182)として就役した。海上自衛隊への移籍に当たって掃海装備は撤去された。1955年2月25日、横須賀に入港。
1969年10月15日、はたかぜはあさかぜ(旧エリソン)とともにアメリカに返却された後、1970年8月6日に中華民国に売却され、座礁により失われた駆逐艦咸陽(DD- 16 旧アメリカ海軍グリーブス級駆逐艦ロッドマン)の代艦として艦名と艦番号をそのまま引き継いだ。1974年に退役し、1978年まで係留練習艦として使用された。
マコームは第二次世界大戦中の戦功から戦闘星章(battle stars)を5つ受章している。
参考文献
[編集]- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。 記事はここで閲覧できます。
- 中名生, 正巳「自衛隊整備の歩み」『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、220-227頁、NAID 40006330308。