李柱銘
李 柱銘 Lee Chu-ming, Martin, S.C. | |
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生年月日 | 1938年6月8日(86歳) |
出生地 | イギリス イギリス領香港 |
出身校 | 香港大学 リンカーン法曹院 |
現職 | 弁護士 |
所属政党 | (香港民主同盟→) 民主党 |
称号 | 大弁護士公会国際人権賞(1995年) 自由主義インターナショナル自由賞(1996年) 全米民主主義基金民主主義賞(1997年) アマースト大学法律名誉博士(1997年) ザ・ホリー・クロス大学法律名誉博士(1997年) クレアモントインスティテュート政治才能賞(1998年) 欧州人民党グループ EPP-ED シューマン勲章(2000年) トロント大学グッドマン勲章(2000年) ラトガーズ・ニュージャージー州立大学ブレナン人権賞(2004年) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1998年7月1日 - 2008年9月30日 |
香港立法局議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1985年10月30日 - 1997年6月30日 |
李柱銘 | |
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籍貫地: | 広東省恵州 |
各種表記 | |
拼音: | Lee Chu-ming |
和名表記: | り ちゅうめい |
発音転記: | リー・チューミン |
李 柱銘(り ちゅうめい、拼音: 、英語名:マーティン・リー(Martin Lee)、1938年6月8日 - )は、香港の首席弁護士、政治家。祖籍は恵州。
イギリスの植民地時代から政治家として活動し、1994年には民主党を創設して初代主席となった。2008年に政界を引退するが、その後も精力的に香港民主運動に参加し、民主派からは「民主主義の父」と慕われている。
来歴
[編集]青年期
[編集]1938年に香港で7人兄弟の第6子として生まれ、広州で育った[1]。先祖は恵州の客家の出自で、父親は国民革命軍少将だった[2]。九龍華仁書院を卒業した後に香港大学に進学し、哲学学士号を取得する[1]。卒業後は教師として働き、3年後にリンカーン法曹院に留学する[1]。
職歴
[編集]- 1965: イギリス法廷弁護士(United Kingdom Barrister)
- 1966: 香港法廷弁護士(Hong Kong Barrister)
- 1979: 王室顧問弁護士(Queen's Counsel)
- 1980 - 1983: 香港大弁護士公会主席(Chairman of Hong Kong Bar Association)
- 1985 - 1989: 香港特別行政区基本法起草委員会委員(a member of the Basic Law Drafting Committee)
- 1998 - 1991: 香港消費者委員会主席(Chairman of The Consumer Council of Hong Kong)
- 1985 - 2007: 香港立法局議員(Legislative Council Member)
- 1990 - 1994: 香港民主同盟を創設
- 1990 - 1994: 香港民主同盟主席(Chairman of the United Democrats of Hong Kong)
- 1994: 香港民主党を創設
- 1994 - 2002: 香港民主党主席(Founding Chairman of the Democratic Party)
- 1997 - 現在: 香港首席弁護士(Senior Counsel)
英領時代の活動
[編集]1979年に王室顧問弁護士に任命され、1980年から1983年にかけて香港弁護士会主席を務めた[3]。1985年に香港立法局に当選し、1997年の香港返還まで務めた[3]。また、1988年から1991年にかけて香港消費者委員会主席を務めた。
議員当選後に香港特別行政区基本法起草委員会委員に任命されるが、1989年に六四天安門事件発生した際に中国政府を批判したため委員会を除名される[4]。また、中国本土への入境を禁止され、2005年に広東省を訪れた例外を除き本土へは入境していない[1]。1990年に香港民主同盟を創設して主席に就任し、1994年には匯點と合流して民主党を結成し、引き続き主席を務めた。香港返還が実現した際には、最後の香港総督となったクリストファー・パッテンの民主化に向けた政治改革を評価し、「パッテンを得たことは香港にとって幸運だった」と述べた[4][5]。
香港民主運動
[編集]香港返還後、李は特別行政区としての地位をアメリカ合衆国が認めた米国-香港政策法を根拠に、「アメリカは香港の民主政府を支援する義務があり、アメリカ大統領が支援の義務を怠る場合は、アメリカとの経済行為を打ち切ることが出来る」と発言した[6]。これに対し、香港特別行政区行政長官の董建華は「李は国際社会の面前で香港の悪口を述べた」と不快感を示した[7]。
2007年10月には、中国が2008年夏季オリンピックの開催地選考の際に表明した「人権問題を改善する」という公約を履行しなかったことに反発し、ウォール・ストリート・ジャーナルに「中国のオリンピックの機会」という批判記事を掲載した。一方、李は欧米諸国に対して「北京オリンピックをボイコットするのではなく、中国を国際社会の一員に近付ける機会を与えるべき」と主張している[8]。しかし、中国では李の発言が歪曲され、「李がアメリカにオリンピックをボイコットするように依頼した」と報道され、中国国内から「漢奸」と非難の声が挙がった[9]。10月27日に民主党主席の何俊仁は、李の主張を支持する公式見解を発表した[10]。
2008年3月27日、同年9月の任期満了を以て香港特別行政区立法会議員から引退することを表明した[11]。議員引退後も活動を続け、2013年4月10日には行政長官普通選挙の改革案を独自に提示するが、翌11日に「公開諮問も始まっていない段階で提示するのはタイミングが早すぎた」として改革案を撤回したため、同じ民主派から失望を表明された[12][13]。
2020年4月18日、香港警察は昨年8月の政府への抗議デモや集会などに参加したとして、民主派の重鎮、李を含め香港の主要な民主派15人を違法集会参加などの容疑で一斉逮捕した[14][15]。18日午後に保釈された李は、自身の行動を後悔していないと表明。「香港の優秀な若者とともに民主の道を歩く機会があったことを誇りに思う」と述べた[16]。2021年4月16日に禁錮11カ月(執行猶予付き)の判決を言い渡された[17]。
顕彰
[編集]香港返還の前後から、李は民主化運動の指導者として国際的に認知されるようになり、1995年にアメリカ法曹協会から国際人権賞を授与されたのを皮切りに、1996年に自由主義インターナショナルから自由賞を、1997年に全米民主主義基金から民主主義賞を、2000年には欧州人民党から非ヨーロッパ人として初めてシューマン勲章を授与されている[3]。
出典
[編集]- ^ a b c d Hong Kong's "Father of Democracy" to Retire, Time magazine. Retrieved 31 Jul 2008.
- ^ Rafferty, Kevin. City on the Rocks: Hong Kong's Uncertain Future. (1989) Viking Publishing. ISBN 0-670-80205-0.
- ^ a b c Martinlee official website
- ^ a b Overholt, William H., The Rise of China: How Economic Reform is Creating a New Superpower (1994), W. W. Norton & Company. ISBN 0-393-31245-3.
- ^ Chris Patten (1998). East and West: The Last Governor of Hong Kong on Power Freedom and the Future. Pan Macmillan. p. 150. ISBN 978-0-330-37308-1
- ^ Hong Kong's reversion to China: effective monitoring critical to assess U.S. DIANE Publishing. ISBN 1-4289-7837-2
- ^ Chan, Ming K., The Challenge of Hong Kong's Reintegration With China (1997), Hong Kong University Press; ISBN 962-209-441-4.
- ^ China's Olympic Opportunity, The Wall Street Journal, 17 October 2007. Retrieved 26 October 2007.
- ^ Lee fires bullet at Beijing, asks Bush to meddle Archived 2011年5月22日, at the Wayback Machine., The Standard. Retrieved 26 October 2007.
- ^ "Democrat bid to curb Lee fallout" Archived 2011年5月22日, at the Wayback Machine., The Standard. Retrieved 26 October 2007.
- ^ Hong Kong's Martin Lee to step down from territory's legislature
- ^ “行政長官の普通選挙、李柱銘氏が改革案提示”. 香港ポスト. 2016年11月23日閲覧。
- ^ “李柱銘氏、行政長官選の改革案を撤回し謝罪”. 香港ポスト. 2016年11月23日閲覧。
- ^ 日本テレビ. “香港デモ 民主派重鎮ら15人を一斉逮捕|日テレNEWS24”. 日テレNEWS24. 2020年6月24日閲覧。
- ^ “香港民主派の重鎮ら15人逮捕 昨年の抗議デモ巡り報復か(共同通信)”. 2020年6月24日閲覧。
- ^ “香港警察、昨年の大規模デモ巡り民主派15人逮捕 「違法集会」で - ロイターニュース - 国際:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年6月24日閲覧。
- ^ “香港の新聞創業者ら民主活動家に実刑 民主派デモで”. BBCニュース (2021年4月17日). 2021年8月3日閲覧。
公職 | ||
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先代 周梁淑怡 | 香港消費者委員会主席 1988年 - 1991年 | 次代 陳坤耀 |
先代 烈顯倫 | 香港弁護士会主席 1980年 - 1983年 | 次代 烈顯倫 |
党職 | ||
先代 香港民主連盟から改党 | 民主党主席 初代:1994年 - 2002年 | 次代 楊森 |
先代 創設 | 香港民主同盟主席 初代:1990年 - 1994年 | 次代 民主党に改党 |