テクノスジャパン

株式会社テクノスジャパン
TECHNOS JAPAN CORPORATION
種類 株式会社
略称 テクノス
TJC(一時期)
本社所在地 日本の旗 日本
165-0026
東京都中野区新井1丁目26番6号
設立 1981年12月
廃止 1995年12月20日(臨時株主総会の決議により解散)
業種 情報・通信業
事業内容
  • ゲーム用ソフトウェア開発
  • コンピュータゲーム機開発販売
代表者 瀧邦夫
資本金 9,000万円
売上高 36億円(1994年9月期)
従業員数 120名
決算期 9月
関係する人物 岸本良久
特記事項:『帝国銀行会社年鑑. 第76版(1996)』(帝国データバンク)記載のデータを参考。
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株式会社テクノスジャパン英語: TECHNOS JAPAN CORP.)は、かつて存在した日本ゲームソフトウェア開発会社。

データイーストの専務だった瀧邦夫を中心とした同社の元スタッフによって1981年に設立。ただし1982年にはデータイースト製『プロテニス』のコピー基板を製造販売したとして訴訟を起こされる。同件は翌年8月、テクノスジャパンほか1社が謝罪し和解[1]。『くにおくんシリーズ』によって一躍ヒットメーカーとなり、横スクロール格闘アクションゲームのブームを作る。

概要

一般的な呼称は「テクノス」 (TECHNOS) 。社名ロゴおよびテレビコマーシャルでも、略称である”テクノス”が強調された。初期にはTJCという略称も見られた[2]

「ゲームをシステム(ルール)と捉え、プラスアルファとなる要素を付け足して1+1=3にする」という姿勢で、同じシステムを流用するような単なる続編は制作していない。

また、キャラクター名を社員から採ることがあった。例として『くにおくんマガジン』における関係者インタビューによれば、当初は『熱血硬派』のタイトルで開発を進めたが、堅すぎるという理由で名前を付けることになった。熟考した結果、社長の名である『くにお(邦夫)』を拝借したという。1986年、アーケードゲームとして発売した『熱血硬派くにおくん』はヒットし、家庭用ゲーム機へ移植され後々シリーズ化していく(くにおくんシリーズ)。

創業当初の本社は東京都新宿区西新宿にあり、のちに同区歌舞伎町へ移転。1992年には中野区新井に自社ビルとして「テクノス中野ビル」を建設し、移転した。

1995年12月15日、事務所が閉鎖し事実上の業務停止。12月20日の臨時株主総会の決議によって解散した。かつての自社ビルはオーナーやテナント変更後も名称を変えず長らく存在していたが、2013年10月1日をもって「いちご中野ノースビル」へと名称変更された。

テクノスジャパン倒産後、同社の全ての版権はミリオンへ移動し、アトラスアークシステムワークスが移植作を発売していた。

2015年6月12日付で、ミリオンの保有するテクノスジャパン関連の版権をアークシステムワークスに全て譲渡した。これにより、アークシステムワークスがテクノスジャパンのタイトルの版権を保持することとなった[3]。同日よりアークシステムワークス運営のテクノス公式サイトが仮オープンし、同年8月11日に正式オープンした。

ゲーム作品

脚注

  1. ^ ゲームマシン」1983年9月1日号9面
  2. ^ アーケード版「熱血硬派くにおくん」のタイトル画面で、テレビをモチーフにしたTJCロゴが確認出来る。
  3. ^ 「くにおくん」関連のタイトル事業に関してのお知らせ - アークシステムワークス 2015年6月12日

外部リンク