メッサリナ

メッサリナ
Messalina
ローマ皇后
在位 41年1月24日48年

全名 ウァレリア・メッサリナ(Valeria Messalina
出生 20年
死去 48年
結婚 38年
配偶者 ローマ皇帝クラウディウス
子女 オクタウィア
ブリタンニクス
氏族 ウァレリウス氏族
父親 マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・バルバトゥス
母親 ドミティア・レピダ
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ウァレリア・メッサリナValeria Messalina, 20年 - 48年)は、ローマ皇帝クラウディウスの皇妃。

生涯

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カリグラ治世まで

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マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・バルバトゥスと母ドミティア・レピダの間に一人娘として生まれた。父方の祖母は小マルケッラ、母方の祖母は大アントニアであり、父方・母方とも曾祖母は小オクタウィアとなる。家系としては父方、母方ともに由緒のある家系であったが、それ以外のことはよく分かってはいない。

38年にクラウディウスと結婚する。この結婚は当初からかなりの年齢差があり、クラウディウスは40代後半、メッサリナは20歳にもなっていなかった。結婚に至るまでの事情については、あまりよくわかっていない。ただ彼女はとても裕福で、カリグラの周囲でとても目立っていたということだけはわかっており、またカリグラはクラウディウスにとって甥であったので、恐らくは先代の皇帝との関連を強めるためにもメッサリナとの結婚は必要であったのだろうと思われる。この結婚で2人の子供が生まれる。オクタウィアブリタンニクスの姉弟である。

皇妃として

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41年1月24日カリグラが暗殺され、親衛隊によりクラウディウスが皇帝に推挙された。クラウディウスの妻であるメッサリナは皇妃となった。

後世のメッサリナへの評価は非常に低く、スエトニウスタキトゥスも筆で厳しく彼女の冷酷さ、強欲さ、疎かさを非難している。彼女と同年齢の女性はもちろんこの時代、客を誘っての会食、宴席を楽しんでいたが、メッサリナは愚かにもこの種の他人の交わりが度を越して、自分の性欲を満たすほどにまでに及んだ、と強調して述べている。よく後世に伝わっていることでは、メッサリナはローマの下賤な売春宿にスキッラという名前で一晩中男たちと交わり続け、ある時には夜明けまでに25人もの男を相手にしてもまだ物足りなかった、すなわちメッサリナは疲れてはいたが、満たされてはいなかったらしい。

アッピウス・シラヌスとヴァレリウス・アジアティクスという二人の非常に著名な上院議員も、メッサリーナの扇動によって死に至った。前者はメッサリナの母ドミティア・レピダと結婚していたが、カッシウス・ディオとタキトゥスによると、メッサリナは彼を自分のものにしたいと思ったが、アッピウスは拒否したという。メッサリナとナルキッソスは、シラヌスがクラウディウス皇帝を暗殺しようと企んでいると非難し、夢の中でシラヌスが皇帝を殺そうとしているのを見たと主張した。

ウァレリウス・アジアティクスはメッサリナの最後の犠牲者の一人であった。アジアティクスは莫大な富を有し、メッサリナが欲しがっていたルクルスの庭園を所有していたこと、そして彼女が憎むライバルであるポッパエア・サビナの母の愛人であったことから、彼女の怒りを買った。紀元前46年、メッサリナはクラウディウス帝を説得し、兵士の規律維持の失敗、サビナとの姦通などの罪でアシアティクスを逮捕させた。クラウディウス帝は死刑を宣告することに躊躇したが、メッサリナの盟友であり、その年の執政官職でクラウディウス帝と共同統治していたルキウス・ウィテリウスの勧告に基づき、最終的に死刑を宣告した。元老院への通知も裁判も行われないままアシアティクスが殺害されたことは、元老院議員たちの間で大きな怒りを招き、彼らはメッサリナとクラウディウス帝の両方を非難した。

この頃、彼女はクラウディウスの解放奴隷秘書の一人、ポリュビオスの処刑も手配した。ディオによれば、この仲間の一人の殺害は、以前は彼女の親しい同盟者であった他の解放奴隷たちをメッサリナに永久に敵対させるきっかけとなった。

強欲さ、冷酷さの代名詞として彼女の名「メッサリナ」が使われたと言う。

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ペーダー・セヴェリン・クロイヤー, Messalina, 1881, ヨーテボリ美術館

48年にメッサリナは元老院議員のガイウス・シリウス (メッサリナの再婚者)英語版と結託してクラウディウスを殺害しようと謀り、そしてシリウスと結婚までしてしまう。シリウスも既婚であったという。彼女はほとんどの元老院議員が自分の側に廻ると確信していたが、計画はクラウディウスの側近ナルキッススの耳に入り、シリウスとその取り巻きは即刻処刑される。クラウディウスは彼女に対する証拠が積み重なるにもかかわらず、態度を和らげ始め、翌朝個人的に彼女と面会したいと申し出た。ナルキッススはクラウディウスの指示に従うふりをして、近衛兵の将校に彼女を処刑するよう命じた。近衛兵の部隊がメッサリナが母親と避難していた場所に到着すると、彼女は自ら命を絶つという名誉ある選択を与えられた。彼女はそうする勇気を奮い起こすことができず、代わりに警備員の一人に剣で殺された。

その知らせを聞いても、皇帝は何の反応も示さず、ただワインのおかわりを求めたという。その後、ローマ元老院はダムナティオ・メモリアエを命じ、メッサリーナの名前をすべての公的・私的な場所から削除し、彼女の銅像をすべて撤去させた。

家族

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クラウディウスとの間に1男1女をもうけた。

関連項目

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