ヤシュ・ジョーハル
ヤシュ・ジョーハル Yash Johar | |
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生年月日 | 1929年9月6日 |
没年月日 | 2004年6月26日(74歳没) |
出生地 | イギリス領インド帝国 パンジャーブ州アムリトサル(現パンジャーブ州) |
死没地 | インド マハーラーシュトラ州ムンバイ |
職業 | 映画プロデューサー |
ジャンル | ヒンディー語映画 |
活動期間 | 1952年-2004年 |
配偶者 | ヒールー・ジョーハル(1971年-2004年、死別) |
著名な家族 | カラン・ジョーハル(息子) |
事務所 | ダルマ・プロダクション |
ヤシュ・ジョーハル(Yash Johar、1929年9月6日 - 2004年6月26日)は、インドの映画プロデューサー。ダルマ・プロダクションの創設者であり、豪華絢爛な撮影セットや「エキゾチック」なロケーション現場の活用を得意とし、インドの伝統や家族観を取り入れた作品を数多く手掛けたことで知られている[1]。また、息子カラン・ジョーハルも映画製作者として活動している。
人物
[編集]1929年9月6日、パンジャーブ州アムリトサルに暮らすパンジャーブ人家庭に生まれ[2][3]、1971年にB・R・チョープラーとヤシュ・チョープラーの妹ヒールー・チョープラーと結婚した[4][5]。2004年6月19日に胸部鬱血のためムンバイ市内の病院に搬送され治療を受けていたが、同月26日に死去した[6]。
キャリア
[編集]ヤシュ・ジョーハルは『Badal』の広報係・スチール写真撮影家として映画界でのキャリアを始め、その後はサシャダール・ムカルジーの下で『Love in Simla』の製作に携わった。1962年にはスニール・ダットの製作会社アジャンタ・アーツに参加し、『Mujhe Jeene Do 』『Yeh Rastey Hain Pyar Ke』の製作管理を担当した[6]。1965年はナヴケータン・フィルムズに参加して『Guide』の製作に携わり、その後も『Jewel Thief』『Prem Pujari』『Haré Rama Haré Krishna』の製作に携わった[7]。
1976年に映画製作会社ダルマ・プロダクションを設立し[8]、ラージ・コースラーを監督に起用した『Dostana』は興行的な成功を収めた。ヤシュ・ジョーハルは1980年代から1990年代にかけて『Duniya』『火の道』『Gumrah』『Duplicate』などを製作し、1994年にはハリウッド映画『ジャングル・ブック』でアソシエイト・プロデューサーを務めた[9]。
1998年には息子カラン・ジョーハルの監督デビュー作『何かが起きてる』の製作を手掛け、国内外で大きな成功を収めた。また、2001年に製作した『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』も興行的な成功を収めている。この間の1999年にはシャー・ルク・カーン、ジューヒー・チャーウラー、アズィーズ・ミルザのドリームズ・アンリミテッド(現レッド・チリーズ・エンターテインメント)設立を援助し、同社が手掛けた『それでも心はインド人』の製作にも携わった[10]。2003年に手掛けた『たとえ明日が来なくても』は批評的・興行的な成功を収め、ヤシュ・ジョーハルにとって最後の製作作品となった。
フィルモグラフィー
[編集]- Dostana(1980年)
- Duniya(1984年)
- Muqaddar Ka Faisla(1987年)
- 火の道(1990年)
- Gumrah(1993年)
- Duplicate(1998年)
- 何かが起きてる(1998年)
- 家族の四季 -愛すれど遠く離れて-(2001年)
- たとえ明日が来なくても(2003年)
受賞歴
[編集]年 | 部門 | 作品 | 結果 | 出典 |
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国家映画賞 | ||||
2000年 | 健全な娯楽を提供する大衆映画賞 | 『何かが起きてる』 | 受賞 | [11] |
フィルムフェア賞 | ||||
1999年 | 作品賞 | 『何かが起きてる』 | 受賞 | [12] |
2002年 | 『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』 | ノミネート | ||
国際インド映画アカデミー賞 | ||||
2002年 | 作品賞 | 『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』 | ノミネート | [13] |
2004年 | 『たとえ明日が来なくても』 | 受賞 | [14] | |
生涯功労賞 | — | |||
ジー・シネ・アワード | ||||
2004年 | 生涯功労賞 | — | 受賞 | [15] |
出典
[編集]- ^ Subhash K Jha (28 June 2004). “Good-bye, Yashji! A Personal Tribute”. Sify. 1 November 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。16 December 2020閲覧。
- ^ “Remembering Yash Johar on his 11th death anniversary” (英語). India Today (New Delhi). (26 June 2015) 16 December 2020閲覧. "The founder of Dharma Productions was born on September 6, 1929 in Amritsar, Punjab, British India."
- ^ Goyal, Divya (30 December 2017). “Karan Johar Got A Fact About Amitabh Bachchan Wrong And This Happened On Twitter”. NDTV.com 10 December 2020閲覧。
- ^ Kanyal, Jyoti (27 September 2020). “Karan Johar on 50 years of YRF: Yash Chopra was not just a filmmaker but a bonafide institution” (英語). India Today 11 March 2021閲覧。
- ^ “Indian film stars you didn't know were related” (英語). The Indian Express. (23 April 2018) 11 March 2021閲覧。
- ^ a b “Filmmaker Yash Johar no more”. Rediff.com (2004年6月27日). 2024年7月4日閲覧。
- ^ Ashraf, Syed Firdaus (27 June 2004). “Filmmaker Yash Johar dead”. Rediff.com 5 November 2012閲覧。
- ^ “Our Profile - Dharma Productions”. 6 June 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。6 March 2022閲覧。
- ^ “Rudyard Kipling's Jungle Book (1994)”. 26 October 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月3日閲覧。
- ^ “Rediff On The NeT, Movies: Shah Rukh Khan speaks”. Rediff.com (13 January 2000). 5 November 2012閲覧。
- ^ “46th National Film Awards”. Directorate of Film Festivals. p. 24. 30 January 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。30 July 2011閲覧。
- ^ “Filmfare Nominees and Winner”. deep750.googlepages.com (2006年). 12 June 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月11日閲覧。
- ^ “3rd IIFA Awards (2002)”. Bollywood Product. 2023年4月28日閲覧。
- ^ “IIFA AWARDS 2004 WINNERS”. India Times. 2023年4月28日閲覧。
- ^ “Zee Cine Awards: Hrithik Best Actor, Urmila Best Actress”. Khaleej Times (2004年2月27日). 2024年3月28日閲覧。