ヤフヤー・ムウタスィム
ヤフヤー・ムウタスィム | |
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ムワッヒド朝第8代アミール(カリフ) | |
在位 | 1227年 - 1229年 |
死去 | 1236年 |
王朝 | ムワッヒド朝 |
父親 | ムハンマド・ナースィル |
ヤフヤー・ムウタスィム(アラビア語:أبو زكرياء المعتصم يحي بن الناصر, Yahya al-Mu`tasim, ? - 1236年)は、ムワッヒド朝第9代アミール(カリフ、在位:1227年 - 1229年)。第4代カリフムハンマド・ナースィルの子でユースフ2世は兄。
1227年に叔父でカリフのアブドゥッラー・アーディルを暗殺したシャイフたちに擁立(初めアーディルの弟イドリース・マアムーンがカリフ候補に上がったが撤回された)、モロッコ(マグリブ)・マラケシュでカリフとして宣言された。だが翌1228年、マアムーンがイベリア半島(アンダルス)からモロッコに上陸、1229年から1230年の内戦でムウタスィムに勝利してムワッヒド朝の支配を握った。敗れたムウタスィムは山地に逃れた[1][2][3]。
再起を図りマラケシュを占領、1232年に奪還に向かったマアムーンは急死したが、息子のアブドゥル・ワーヒド2世が戦闘を継続した。ムウタスィムはアトラス山脈に逃れて抵抗したが、1236年に敗死した[4][5]。
脚注
[編集]- ^ 余部福三 1992, p. 291-292.
- ^ D・T・ニアヌ & 宮本正興 1992, p. 73-74.
- ^ D.W.ローマックス & 林邦夫 1996, p. 191-192.
- ^ D・T・ニアヌ & 宮本正興 1992, p. 74.
- ^ D.W.ローマックス & 林邦夫 1996, p. 192.
参考文献
[編集]- 余部福三『アラブとしてのスペイン』第三書館、1992年。
- D・T・ニアヌ編、宮本正興責任編集『ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻上 12世紀から16世紀までのアフリカ』同朋舎出版、1992年。
- D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』刀水書房、1996年。