ユーストア
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | ユーストア |
本社所在地 | 492-8687[2] 愛知県稲沢市天池五反田町1番地[2] |
設立 | 1977年(昭和52年)6月2日[2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 食料品・衣料品・生活関連品の販売 |
代表者 | 松田邦男(代表取締役社長) |
資本金 | 71億10百万円 |
売上高 | 1453億8200万円(2008年(平成20年)2月期)[3] |
総資産 | 700億円(2008年2月期) |
従業員数 | 1,068名 |
決算期 | 2月20日[2] |
主要株主 | ユニー株式会社 64.4% |
外部リンク | http://u-store.co.jp/ 閉鎖。(2008年8月13日時点のアーカイブ) |
特記事項:2008年8月21日にユニー株式会社(初代)へ合併し解散 |
ユーストア (U-STORE) はユニーグループのショッピングセンターブランド及び、かつてそれを運営し、本社を愛知県稲沢市に置いていた小売流通企業。
本項では店舗ブランド「ユーストア」についてを主軸に扱い、かつての法人「株式会社ユーストア」については#株式会社ユーストアの節にて記載する。
概要
[編集]スーパーマーケットのユーストアは当初、大規模小売店舗法への対応策として、ユニーが子会社として立ち上げた株式会社ユーストアによって、ミニGMSとして出店が始まった[広報 1]。のちに同社を吸収合併した、ユニー株式会社(初代)による運営となった[広報 2]のち、店舗ブランド転換により消滅。
最盛期は、愛知県・岐阜県・三重県・静岡県・滋賀県・京都府の1府5県に店舗展開していた。
株式会社ユーストア
[編集]株式会社ユーストアは、かつてスーパーマーケットの「ユーストア」を運営していた企業である。2008年(平成20年)8月、ユニー株式会社(初代)に吸収合併され解散した。
当初から店舗は、株式会社ユーストアによって出店されており、ユニー株式会社による運営となったのち、店舗ブランド転換により一度消滅している。
吸収合併時点では、1府5県に72店舗の出店があり(愛知県42、岐阜県5、三重県8、静岡県11、滋賀県5、京都府1)、初代ユニー株式会社運営時代の最終店舗数は、その後の滋賀県への新規出店により73店舗であった。
株式会社ユーストアの運営時代は、店舗を集中的に展開する「ドミナント」の形成を目指しており、ユニーグループの本拠地である愛知県名古屋市郊外から出店を始めた[7]。
そのため、1993年(平成5年)11月19日に静岡県浜名郡新居町(現:湖西市)に新居店を出店して静岡県へ進出した際も[8]、進出当初の1・2年の間に10店舗を開業することで一気に静岡県にドミナントの構築を目指そうとしていた[9]。
なお、この静岡県への進出を足掛かりに首都圏への出店も目指していたが[7]、実現せずに終わっている。
歴史
[編集]設立から小売業屈指の優良企業へ
[編集]株式会社ユーストアは、低コストによる未開発地域への店舗開発を基本に郊外を主力ターゲットに店舗展開を行うことで、鮮度の良い商品を安く提供する経営方針でスーパーマーケットを展開した企業である[10]。
そのため、既成の市街地や商店街といった不動産価格の高い地域に出店するのではなく、人通りが少なくても地価は安くて広い敷地を確保できる郊外の田園地帯などで、近隣から自動車で来店しやすい道路状況になっている地区に広めの駐車場を併設した店舗を出店する戦略を採った[11]。
なお、この広めの駐車場を持つ平屋建ての店舗を郊外に多数展開する戦略は、1972年(昭和47年)にアメリカで見学したKマートが急速に店舗を伸ばしていたことに着目したところから生まれたもので、同社が当時展開していた出店形式を元にしている[12]。
この形式での店舗として、同社設立前にユニー本体がユーマート大樹寺店(のちのユニー大樹寺店)を開店しており、実際に営業する実験を行った後に会社を立ち上げる形となった[12]。
また、1974年(昭和49年)から施行になった大規模小売店舗法への対応策として誕生した側面を持つため[13]、布袋店(売場面積1,453m2)や蟹江店(売場面積1,467m2)のように[12]設立当初は規制対象の売場面積約1,500m2を下回る規模での出店を行っていた[13]。
しかし、1982年(昭和57年)以降は売場面積500~1,500m2の店舗も規制対象となったことから、法律の規制を避けて出店するという目的には、あまり役立たない形となった[13]。
そうした目論見違いが一部あったものの、会社設立から1993年(平成5年)5月まで約17年間社長を務めた家田美智雄は、低コスト路線を徹底することで高収益企業へと成長させたと言われている[14]。
そして、設立初年度から家田の社長在任中は毎年して増収を記録し続けた[15]。 (この連続増収記録は2005年(平成17年)2月期決算まで28期続いた[15]。)
また、この間には店舗の閉鎖も行わず、出店した全店舗を営業し続けていた[15]。
その結果、1990年代初めごろには「大手総合スーパー系列の食品スーパーとしては唯一の成功例」と評されるところまで成長して業界の注目を集め[16]、イトーヨーカ堂やしまむらなどと共に日本の小売業界を代表する優良企業と呼ばれるようになった[17]。
こうした低コストを実現するため、年間売上高が約500億円で店舗数が19店に達していた1987年(昭和62年)10月時点でも本部はわずか16名で運営し[12]、生鮮食料品が多く必然性が低いとして販売時点管理システム(POS)の導入も家田の社長時代には行われなかった[18]。
その一方で、鮮度の良い商品を安く提供することを目指すため[10]、「定休日前に売り尽くしをすることで、冷凍ケースなどの清掃を行い、休み明けの木曜日から鮮度の良い商品の販売を行う」との考えのもと[19]、当時の定休日であった水曜日の前日に「火曜特売」を実施するようになったのも当時社長だった家田美智雄の発想であったとされている[19]。
この火曜特売は、のちにユニーグループ全体で行われるようになった[19]。
こうした低経費・高効率の経営体質を作り上げたことから、家田美智雄はユーストアの社長を退任する頃までには“怪物”の異名をとるほどの名物経営者として知られるようになった[20]。
家田の退任から吸収合併・商号消滅へ
[編集]家田美智雄の退任後の後任の経営陣も低経費・高効率の経営路線は維持するとしたものの[20]、1995年(平成7年)10月に全店には販売時点管理システム(POS)を導入する[18]など一部で経営戦略が転換された。
その一方で、2002年(平成14年)2月期には自家発電装置を店舗に導入するといった新たなコスト削減策も取られるようになった[21]。
しかし、競争が激化したことから、2005年(平成17年)には初の店舗閉鎖に踏み切るといった方向転換も図られた[15]。
そして、2005年(平成17年)2月期決算まで28期続いた連続増収記録は[15]、2006年(平成18年)2月期決算で途切れ[22]、同年度は創業以来初の最終赤字転落となった[22]。
その後、少し持ち直して2007年(平成19年)2月期決算は2期ぶりの増収で4期ぶりの経常増益となったものの[23]、当期損益では約2.2億円の損失と赤字が続いた[24]。
2008年(平成20年)2月期中間決算は競合がさらに激化し、前年割れ店舗が64店舗と大幅に増えたことなどに伴い、減損会計処理を行って中間純利益は37.79億円の損失となった[25]。
結局2008年(平成20年)2月期決算は、競争が激化した影響で既存店売上高が約3.5%減で全店でも売上高が約2.2%減と落ち込み、発注見直しなどの軽削減やユニーグループのPB商品の拡充による粗利益率の改善などにもかかわらず、減損損失を約71.22億円を計上したことが影響して当期純利益は約31.97億円の損失と3期連続の赤字で、最後の年間決算を終えることになった[3]。
なお、本社についてはグループの機能集約に伴って、2002年(平成14年)6月にユニー本社と同じ場所に移転している[26]。
2008年(平成20年)4月10日に同年8月21日にユニーと合併すると発表した[27]。
予定通り2008年(平成20年)8月21日に[27]株式会社ユーストアはユニーに吸収合併されて企業名としては消滅し[28]、組織・店舗運営はユニー内で再編したユーストア営業本部が継承することになった[27]。
合併時点では店舗ブランドの「ユーストア」は存続しており、合併後の2008年(平成20年)11月21日にフォレオ大津一里山内にユーストア一里山店を出店している[29]。 また、この店舗ではユーストアのロゴマークをローマ字の黄色のものへと変更した
その後、ユニー・ユーストア・ラ フーズコア・アピタ食品館の店舗ブランドを統合し、翌年2月21日から、店舗ブランドを「ピアゴ」とすることにより、店名としてもユーストアが消滅することになった[30]。
なお、精華台店のみは「アピタ」へ店名変更されており、変更時期も他店よりも少し遅れる形となった。
沿革
[編集]- 1977年(昭和52年)
- 1979年(昭和54年)1月 - 三重県桑名市に星川店を出店する(三重県への初の出店)。
- 1981年(昭和56年)
- 1986年(昭和61年)12月 - 星川店、ユーストア初の店舗建て替え(現:MEGAドン・キホーテUNY星川店)。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1月 - 久保田店、店舗建て替え(現:ピアゴ久保田店)。
- 12月 - 名古屋証券取引所第二部に上場する。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)6月 - 上和田店、店舗建て替え(現:ピアゴ上和田店)。
- 1992年(平成4年)3月 - フラワーショップ「ユーフラワー」の営業を開始。
- 1993年(平成5年)
- 1995年(平成7年)
- 1997年(平成9年)12月 - 勝幡店、店舗建て替え(現:MEGAドン・キホーテUNY勝幡店)。売場面積1,439m2 → 5,072m2。
- 1999年(平成11年)12月 - 東京証券取引所第二部に上場する[1]。
- 2000年(平成12年)3月 - 滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)に水口店を出店する[31](滋賀県への初の出店)。
- 2002年(平成14年)6月 - 本社を海部郡佐織町から稲沢市のユニー本社内に移転[26]。
- 2003年(平成15年)3月 - 食品部門の青果部より緑花(ユーフラワー)を部門として独立。
- 2005年(平成17年)11月3日 - 京都府相楽郡精華町のユータウンけいはんなに精華台店(MEGAドン・キホーテUNY精華台店)を出店し、京都府へ進出する[32][33]。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)9月23日 - ユーストア1号店だったピアゴ蟹江店を建て替えリニューアルオープン。
- 2020年(令和2年)12月4日 - 食の殿堂ユーストアとしてブランド復活。ピアゴ ラ フーズドラッグ萱場店(名古屋市千種区)を改装の上、リニューアルオープン。
店舗
[編集]2009年に一度ブランドが消滅する前の最終店舗数は東海地方を中心として73店舗展開されていた。
過去に存在した株式会社ユーストア運営の店舗
[編集]愛知県
[編集]- 浦里店(名古屋市緑区、1982年(昭和57年)11月26日開店 - 2005年(平成17年)5月10日閉店)
- 牛巻店(名古屋市瑞穂区、2002年(平成14年)3月1日開店 - 2005年(平成17年)5月22日閉店)
- 3年余りで閉店する。平屋建て。店舗面積819m2。建物はそのまま改装され、2005年(平成17年)8月4日にスギ薬局牛巻店(現:スギドラッグ牛巻店)となる。
岐阜県
[編集]- 岐南店(羽島郡岐南町、1987年(昭和62年)5月29日開店 - 2006年(平成18年)1月10日閉店)
- サンメイト岐南の核店舗。平屋建て。跡地は建て替えて、2007年(平成19年)10月7日にマックスバリュ岐南店となる。
- 安八店(安八郡安八町、2000年(平成12年)2月25日開店 - 2008年(平成20年)3月[35]20日閉店)
- 2階建て。建物はそのまま改装され、2009年(平成21年)3月12日にホームプラザナフコ安八店となっていたが、2011年(平成23年)8月21日閉店。翌年6月より建物の解体工事が行われ、その後は更地となっていた。トライアルカンパニーが2014年(平成26年)秋をめどに新規出店をすると報じられ[35]、同年5月下旬より建設を始め[36]、同年10月8日に開店。
静岡県
[編集]- 新居店(浜名郡新居町中之郷字あけぼの4040[8]、1993年(平成5年)11月19日開店[8] - 2006年(平成18年)2月14日閉店)
- 現在、建物はそのまま改装され、2006年(平成18年)5月にクックマート浜名湖西店となる。店舗はユニーから賃借している。
出店を断念した店舗
[編集]過去に使用していた店舗ブランド
[編集]- しんせん - 食料品専門のため1店舗のみ使用。1991年(平成3年)頃ユーストア赤池店への改称を経て、現在のピアゴ ラフーズコア赤池店。
過去に使用していたインストアブランド
[編集]- ユーシャレオ(衣料総合)
合併直後に引継がれたインストアブランド
[編集]合併後、ユニー内で再編したユーストア営業本部が継承したが、のちに同本部の統廃合に伴い、ブランド消滅している。
- パレット → のちのベルファーニス(ヤングレディースカジュアル)
- レッドウッド → のちのアーバンウッド(メンズカジュアル)
- パンデコマ(ベーカリー)
- ユーフラワー(生花)
合併直前に店舗等で使われた主なキャラクター
[編集]株式会社ユーストアのコマーシャルやレジ袋などには、以下のキャラクターが登場していた。
統一ブランド化に伴う店舗名変更
[編集]- ユーストア阿久比店 → ピアゴ阿久比北店 - アピタ阿久比店との類似
- ユーストア碧南店 → ピアゴ碧南東店 - ピアゴ碧南店(旧:ユニー碧南店、現:ドン・キホーテUNY碧南店)との類似
- ユーストア長久手店 → ピアゴ長久手南店(現:ピアゴパワー長久手南店) - アピタ長久手店との類似[注 3]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]一次資料
[編集]- ^ “株式会社ユーストア 公式サイト”. 株式会社ユーストア. 2008年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月3日閲覧。
- ^ “地域とお客様とくらしを結ぶ ユーストア 公式サイト”. (初代)ユニー株式会社. 2009年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月3日閲覧。
第三者出典
[編集]- ^ a b “ユーストア昨年12月16日 東証二部に株式上場”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年1月27日)
- ^ a b c d e 『会社年鑑 全国上場会社版 下巻 2006年版』 日本経済新聞社、2005年10月。
- ^ a b “ユーストア、2008年2月期決算 新店効果及ばず減収増益に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年4月16日)
- ^ コロナシフトへ再リニューアル 前回改装から9か月で ユニー「ピアゴパワー妙興寺店」
- ^ 『流通会社年鑑 1993年版』 日本経済新聞社、1993年10月25日。
- ^ “ユーストア、「妙興寺店」オープン、年商32億円見込む”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年6月30日)
- ^ a b “いま話題のSM新鋭店ルポ 5〈 ユーストア(上)”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年7月1日)
- ^ a b c d “ユーストア、19日静岡進出1号店「新居店」オープン ドミナント化の拠点に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月19日)
- ^ “ユーストア、静岡県内へ中期的に20店展開へ。関東通産局に5条申請”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年10月9日)
- ^ a b “有力スーパーに聞くわが社の商品戦略 ユーストア、売場のボリューム陳列へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年1月1日)
- ^ “いま話題のSM新鋭店ルポ 6〈 ユーストア(下)”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年7月17日)
- ^ a b c d e f 吉田貞雄 『新生 (ユニー) の時代対応戦略 複合小売業の "森" をつくる』 ダイヤモンド社、1988年3月1日。ISBN 978-4478310427
- ^ a b c “食品流通の旗手 日本のSMチェーンベスト10=ユーストア”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年1月1日)
- ^ “ユニー、リストラ順調に進行 良品廉価路線で着実に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年7月22日)
- ^ a b c d e “ユーストア、2005年2月期決算は新店効果で増収も減益”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年4月18日)
- ^ “このSMチェーン強さの秘密 『5』 ユーストア”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年11月30日)
- ^ “非常事態下のCS経営 1 減収・減益”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年4月7日)
- ^ a b “ユーストア、10月中旬から下旬にかけ全店にPOS導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月11日)
- ^ a b c “激変する北関東大型小売業(下)脱価格競争探る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年8月20日)
- ^ a b “ユーストア、「ローコスト経営を踏襲」と小谷社長語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年5月31日)
- ^ “中部地区夏期特集:トピックス=ユーストア、自家発電装置を導入”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年8月13日)
- ^ a b “ユーストア、06年度決算は創業以来初の赤字に 今期は内部改革に全力傾注”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月21日)
- ^ “ユーストア07年2月期決算、下期挽回で増収増益に 立地によりDS戦略も”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月9日)
- ^ “ユーストア、2007年2月期決算”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月9日)
- ^ “ユーストア、2008年2月期中間決算”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年10月8日)
- ^ a b 伊藤司 “郊外移転と経営統合からみた小売業本部の空間的再編成”. 名城論叢 第4巻 第1号 (名城大学 経済・経営学会). (2003年6月)
- ^ a b c d “ユニーとユーストアが合併 ユニーグループ中小型店は130店3500億円体制に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年4月14日)
- ^ a b “中部新春特集:小売トップインタビュー=ユニー・前村哲路社長”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年1月22日)
- ^ a b “ユニー フォレオ大津一里山の核に ユーストア一里山オープン 滋賀県大津市” タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年12月1日)
- ^ a b “ユニー、「ピアゴ」業態で初出店「柴田店」オープン ユニー・ユーストアなど統合”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年1月28日)
- ^ “開店情報=ヤマナカ他”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年3月29日)
- ^ “ユーストア、京都府下に初出店 大型SC「ユータウンけいはんな」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月11日)
- ^ “ユーストア 京都府に初出店 ユータウンけいはんな 11月3日オープン 京都府相楽郡精華町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年12月1日)
- ^ a b c “オープン情報=ユーストア”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年11月29日)
- ^ a b “大型ディスカウントストア、安八町に来秋出店”. 岐阜新聞 (岐阜新聞社). (2014年10月9日)
- ^ “TRIAL岐阜安八店(仮称)を北村組で”. 建通新聞(建通新聞社). (2014年6月25日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 株式会社ユーストア 公式サイト - 閉鎖。(2008年8月13日時点のアーカイブ)