ラ・バタイユ (1923年の映画)
ラ・バタイユ | |
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La Bataille | |
監督 | 早川雪洲 エドゥアール=エミール・ヴィオレ |
脚本 | クロード・ファレール Margaret Turnbull |
原作 | クロード・ファレール『ラ・バタイユ』 |
出演者 | |
撮影 | ジョルジュ・アセラン Louis Dubois Daniel Quintin |
制作会社 | Le Film d'art |
公開 |
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製作国 | フランス |
言語 | サイレント映画 フランス語のインタータイトル |
『ラ・バタイユ』(フランス語: La Bataille、英語: The Battle)は、早川雪洲とエドゥアール=エミール・ヴィオレが共同で監督し、1923年に公開されたフランスの映画[1][2]。早川は、妻である青木鶴子とともに、この映画の主演を演じた[3]。
ハリウッドを拠点としていた早川雪洲は、黄禍論の高まりを受けて、ヨーロッパに活路を求め、この映画の制作のために妻の青木鶴子とともに1923年7月にパリ入りして、群集から熱狂的に歓迎された。フランス人作家クロード・ファレールが日露戦争を舞台にして著した小説『ラ・バタイユ』を原作とするこの映画は、フランス海軍の協力によって本物の軍艦まで撮影に使い[4]、フランスでは大ヒットした。
あらすじ
[編集]本作は、小説『ラ・バタイユ』を原作としているが、原作では不貞を働く主人公の妻が、夫に忠実な妻として描かれるなど、原作とは異なる設定、展開が盛り込まれている[3]。
海軍将校であるヨリサカ侯爵が、パリから長崎に帰国すると、妻ミツ子は、ホックリイ夫人の助言をいれて、何事も洋風の生活を送っていた。またイギリス海軍士官フェアガンが妻に心を寄せていることに気づいたヨリサカは、嫉妬に葛藤するが、同時にこれを緒に、イギリスの軍事上の秘密を引き出そうとする。やがて日本海海戦に臨んだヨリサカだったが、敵弾に倒れ、観戦武官として居合わせたフェアガンに指揮を委ねる。海戦は勝ったが、ヨリサカはミツ子の許に運ばれて息を引き取り、ミツ子は尼となった。[3]
キャスト
[編集]- 早川雪洲 - ヨリサカ侯爵 (Marquis Yorisaka)
- 青木鶴子 - 侯爵夫人ミツコ (Marquise Mitsouko)
- フェリクス・フォード (Félix Ford) - ヒューバート・フェアガン (Herbert Fergan)
- ジナ・パレルム - ホックリイ夫人 (Lady Hookley)
- ジャン・ダックス - ジャン・フランソワ (Jean Francois)
- キャディ・ウィンター (Cady Winter) - ミス・ヴェイン (Miss Vane)
日本版の編集
[編集]日本では、主人公の海軍将校ヨリサカ侯爵の妻ミツコがヨリサカの親友であるイギリス武官フェアガンと親しくなる展開や、日本海海戦のさなかに瀕死の重傷を負うヨリサカがフェアガンに艦の指揮を託す場面が国辱であるとして、冷ややかに受け止められ、原型をとどめぬほどに編集されたものが公開されたとされている[5]。日本版の編集にあたったのはヘンリー・小谷であった[3]。
当時の報道によると、一般公開直前の1924年9月30日に、小笠原長生子爵邸でおこなわれた試写会に招かれた東郷平八郎は、フランス海軍が18隻もの軍艦を提供して撮影に協力したことを称賛し、時には感涙を流しながら試写を観たた上で、負傷した主人公が外国人に指揮を委ねるというくだりについて、事実であると「誤解されてはいけない」と述べたといい、この部分の除去が決まったという[4]。
編集された『ラ・バタイユ』は、海軍省の後援を受け、10月3日からまず帝国ホテルで3日間上映され[6]、以降、一般の映画館でも公開された。
アメリカ版『The Danger Line』
[編集]アメリカ合衆国でも、本作は大幅に編集改変され、ロバートソン=コール映画社(Robertson-Cole Pictures Corporation:Film Booking Offices of Americaの前身)の制作による映画『The Danger Line』として1924年5月26日に公開された[7]。
脚注
[編集]- ^ (French) Encyclopédie alpha du cinéma. 4. Éd. Grammont S.A.. (1976). p. 73. ISBN 978-2-8270-0457-7
- ^ Kennedy-Karpat, Colleen (2013). Rogues, Romance, and Exoticism in French Cinema of the 1930s. Rowman & Littlefield. p. 132. ISBN 978-1-61147-613-2
- ^ a b c d ラ・バタイユ - 映画.com
- ^ a b 「東郷さんが感激の一夜 日本海海戦を背景にした戦争劇の映画を見て/「さうぢやぢや」と首肯きながら 元帥の面は次第々々に沈痛の色に」『朝日新聞・朝刊』1924年10月1日、7面。「佛國の小説家クロード・ファレール氏の原作『ラ・バタイユ』(戰爭)劇を今度マーガレツト・ターンブル嬢が脚色し、雪洲早川が主役になつて活動寫眞に仕組んだ映畫は最近日本に來て、近く公開する段取りになつたが ... 東郷元帥とその家庭の人々を招き卅日夕刻から市外代々幡の小笠原長生子爵邸で試映を行つた。... さすがに佛國政府が力瘤を入れて特に地中海艦隊十八隻全部を提供して実演させただけあつて大掛かりなものだ ... 元帥思はず膝を打つて『ホヽ偉いものぢや、よくもこんなにフランス政府が軍艦を貸して呉れたものぢや、想像もつかぬことぢや、もし日本などがこんなことをして、他國の國旗でも掲揚させたら、議會の大問題になるだらう、ウハヽヽヽ』... 戰友の死骸が現れると、元帥は沈痛の面を全く伏せ、左腕を額に當たまゝ兩眼には一杯の涙が湛へられ、大きく胸をゆるがす ... 『實によく出來てゐた、併し一海軍大尉が負傷して同乗の外國観戰武官に指揮権を譲る處はどうも面白くない 後日になって日本海軍が斯くもしたと、假令映畫にしても誤解されてはいけないから……( リーダーは原文ママ)』と長生子に私見を述べたが持主側でも快く元帥の意見を容れて切り取ることにした、...」 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 中川、p192
- ^ 「[演芸欄]問題の雪洲映画「戦争」 海軍省の後援でいよいよ公開」『読売新聞・朝刊』1924年9月30日、5面。 - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ Munden, Kenneth White (1997). The American Film Institute Catalog of Motion Pictures Produced in the United States. University of California Press. p. 1476. ISBN 978-0-520-20969-5
参考文献
[編集]- 中川織江 『セッシュウ!世界を魅了した日本人スター・早川雪洲』 講談社、2012年、ISBN 406-2179156