レフ・ルードネフ
人物情報 | |
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生誕 | 1885年3月13日 ロシア帝国 ノヴゴロド |
死没 | 1956年11月19日 (71歳没) ソビエト連邦 ロシア共和国 モスクワ |
出身校 | 帝国芸術アカデミー |
学問 | |
研究分野 | 建築 |
研究機関 | モスクワ建築大学 |
レフ・ウラジーミロヴィチ・ルードネフ(ロシア語: Лев Владимирович Ру́днев 、1885年3月13日 - 1956年11月19日) は スターリン様式の作風で活躍したロシアの建築家。ソ連建築アカデミーのメンバーだった。
経歴
[編集]1885年、ノヴゴロド生まれ。家族は町の学校の教師で、彼はリガ実科学校(現在のリガ第1中学校)を卒業し、1906年にはサンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーを卒業した。アカデミーでは、レオン・ベノワやイワン・フォミンらの下で絵画と建築を学んだ。1911年ごろから様々な建築コンクールで入選し、1915年には建築芸術分野認定の建築家となっている。
1922年から1948年までレニングラードの芸術アカデミー教授(旧帝国美術アカデミー)を務め、1948年から1952年にはモスクワ建築大学研究所教授であった。
2月革命後、革命の犠牲者のための記念碑をペトログラードのマルス広場に建てる案を発表(1917年3月)、前衛的な彼のデザインによって建設された。ヴォロネジ、スターリングラード、リガとモスクワなど、大祖国戦争後の廃墟の都市を再建する積極的な役割を取り入れた。
同時代のソ連において、担当したのはほとんどが大規模なもので、最も顕著な建築作品はモスクワ大学諸施設(1948年から1953年、共同者はフセヴォロド・ナソノフとセルゲイ・チェルヌイショフ、パーヴェル・アブロシモフとエンジニアアレクサンドル・フリャコフ)で、同作品でスターリン賞を1949年に受賞している。
受賞・栄典
[編集]- 1949年:スターリン賞
主な作品
[編集]- フルンゼ堤沿いの建築物群(1938年 - 1955年)
- ワルシャワ文化科学宮殿(1952年 - 1955年)
- モスクワ・フルンゼ陸軍士官学校(1939年)
- シャポシニコフ通り沿いの建築物群(1934年 - 1938年)
- リガ科学アカデミー庁舎(ラトビア・リガ)
- アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国下院政府(バクー、1952年に完成)
参考文献
[編集]- 世界の歴史 11 井上浩一 中央公論新社 1998
脚注
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