レングヴェニス・アルギルダイティス

レングヴェニス・アルギルダイティス
Lengvenis Algirdaitis
ノヴゴロド公
モスクワ大公女マリヤとの結婚
在位 1389年 - 1392年1406年 - 1411年

出生 1360年
死去 1431年以後
配偶者 マリヤ・ドミトリーエヴナ
子女 ユルギス
家名 アルギルダス家
父親 アルギルダス
母親 ウリヤナ・トヴェリスカヤ
テンプレートを表示

レングヴェニス・アルギルダイティス(リトアニア語:Lengvenis Algirdaitis, 1360年頃 - 1431年以後)は、リトアニア大公国の統治者アルギルダスと、その2番目の妻ウリヤナ・トヴェリスカヤの間の息子の一人。ノヴゴロド共和国の勤務公(在位:1389年 - 1392年、1406年 - 1411年)。有能な軍事指導者であった。

生涯

[編集]

レングヴェニスは1387年にリトアニアの軍勢の一部を率いてドイツ騎士団と戦った。1389年、レングヴェニスは兄のリトアニア大公・ポーランド王ヨガイラからノヴゴロドの摂政に任命され、1392年まで務めた。彼はノヴゴロドの勤務公となる際、正教に改宗してシメオナス(Simonas)と名乗った。レングヴェニスが1392年にノヴゴロド公を退いた後、ヴィータウタスはレングヴェニスをムシチスラウ公に任命した。1406年から1411年まで、レングヴェニスは再びヴィータウタスによりノヴゴロド公に任じられた。ノヴゴロドの支配者として、彼はプスコフ共和国リヴォニア騎士団スウェーデンと戦った。

1410年、レングヴェニスはグルンヴァルトの戦いに参加し、スモレンスクから招集された3つの隊を率いて戦った。そのうちの1隊はレングヴェニスの息子ユルギスが指揮していた。レングヴェニスは1411年の第一次トルンの和約の調印に加わっている。レングヴェニスはモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの娘マリヤ・ドミトリーエヴナと結婚した。

レングヴェニスの印章(1379年)