一宮市立市民病院
一宮市立市民病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Ichinomiya Municipal Hospital |
前身 | 一宮市診療所 |
標榜診療科 | 内科、神経内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、小児科、外科、心臓血管外科、血管外科、脳神経外科、整形外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、歯科口腔外科 |
許可病床数 | 594床 一般病床:570床 感染症病床:6床 結核病床:18床 |
職員数 | 1270 |
機能評価 | 一般病院2(500床以上)(主たる機能) 3rdG:Ver.2.0 |
開設者 | 一宮市 |
管理者 | 松浦昭雄(院長) |
地方公営企業法 | 全部適用 |
開設年月日 | 1936年5月 |
所在地 | 〒491-8558 愛知県一宮市文京二丁目2番22号 |
位置 | 北緯35度18分46秒 東経136度48分20秒 / 北緯35.31278度 東経136.80556度 |
二次医療圏 | 尾張西部 |
PJ 医療機関 |
一宮市立市民病院(いちのみやしりつしみんびょういん)は、愛知県一宮市にある医療機関。一宮市病院事業の設置等に関する条例(昭和41年12月28日条例第41号)により設置された市立の病院である。
沿革
[編集]- 1936年(昭和11年):一宮市診療所として、一宮市西之町23に開業。
- 1939年(昭和14年):一宮市立市民病院に改称。
- 1945年(昭和20年):空襲で全焼。別の市施設で仮診察。
- 1949年(昭和24年):現在地に新築移転。
- 1955年(昭和30年):萩原町が一宮市に編入され、萩原町立萩原病院[注釈 1]が一宮市に移管。一宮市立国民健康保険直営萩原病院となる。
- 1962年(昭和37年):日本赤十字社愛知県支部葉栗診療所(旧名称:日本赤十字社愛知支部葉栗診療所)[注釈 2]が一宮市に移管され、一宮市市民病院葉栗診療所となる。
- 1966年(昭和41年):一宮市立国民健康保険直営萩原病院が一宮市萩原町萩原字河原79に新築移転(病床数70 内科・外科・眼科・産婦人科・耳鼻咽喉科・放射線科)。
- 1969年(昭和44年):葉栗診療所を廃止。
- 1969年(昭和44年):一宮市立国民健康保険直営萩原病院を大幅縮小。有床診療所(19床)[注釈 3]として一宮市市民病院付属萩原診療所に改称。
- 1973年(昭和48年):本館完成。
- 1977年(昭和52年):今伊勢病院(後の一宮市立市民病院今伊勢分院→民間移譲により閉院)と組織統合。
- 1978年(昭和53年):今伊勢病院付属休日急病診療所[注釈 4]の管理を市民病院に変更。
- 1987年(昭和62年):休日急病診療所を一宮市貴船町3丁目2に新築移転。休日・夜間急病診療所となる。
- 1988年(昭和63年):新館(現、東館)完成。
- 1988年(昭和63年):萩原診療所を廃止。
- 2003年(平成15年):臨床研修指定病院に指定。
- 2004年(平成16年):南館完成。
- 2004年(平成16年):病院機能評価の認定。
- 2005年(平成17年):電子カルテの導入。
- 2007年(平成19年):地域がん診療連携拠点病院に指定。
- 2007年(平成19年):災害拠点病院(地域災害医療センター)に指定。
- 2009年(平成21年):新南館完成(東館を「北館」に呼称変更)
- 2010年(平成22年):救命救急センター稼働。
- 2010年(平成22年):愛知県立循環器呼吸器病センターと統合。
- 2013年(平成25年):地域中核災害拠点病院に指定。
診察科・専門外来
[編集]診察科
[編集]専門外来
[編集]- 禁煙外来
- 女性専用外来
交通アクセス
[編集]- 名鉄名古屋本線・尾西線 名鉄一宮駅(一宮駅バスターミナル)又はJR東海道本線 一宮駅東口より、名鉄バスで【30】・【31】宮田本郷行き、または【36】川島行きで「一宮市民病院前」バス停下車。
- i-バス(一宮市循環バス)一宮コース市民病院行きで「市民病院」バス停下車。
その他
[編集]一宮市の市民病院は、旧木曽川町、旧尾西市の公設病院も取り込んでおり、合併当初は4箇所の病院が存在した。民間への譲渡が進み、2009年4月現在、一宮市立市民病院、一宮市立木曽川市民病院(旧:木曽川町立木曽川病院)となっている。