三好義雪
三好 義雪[1](みよし よしゆき、1894年(明治27年)2月3日[2] - 没年不明)は、日本の医師(内科小児科、三好医院)[2][3][4]、会社役員。族籍は広島県平民[5]。
人物
[編集]広島県広島市出身[1]。三好家は代々医を業とする[3]。広島高等師範学校附属中学校を優等の成績を以て卒業する[1]。1915年、岡山医学専門学校を卒業する[2][5][6]。1916年、舟入病院臨時医員嘱託、同年に広島県防疫医拝命、同年に一年志願兵として入隊[2]。1917年、正八位に叙される[3]。
1920年、予備役三等軍医後広島病院に勤務[2][7]。1923年、開業する[2][3]。内科小児科を主とする[3]。白島小学校医[3]、広島高等師範学校医[8]である。1930年以来広島市医師会理事[4]。1937年、鈴木商店監査役に就任する[9]。
『広島県紳士名鑑』で「今や君の令名は鯉城の内外に汪溢せるの感あり」と評価される[1]。趣味は書画[3]、読書[4]、碁[6]。処世の信条は誠実、親切、努力[4]。住所は広島市東白島町[1][2][3][6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『広島県紳士名鑑』広島市之部185頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『日本医籍録 昭和15年版』広島県10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『現代展望・郷土誌 昭和10年度版 神奈川県 北海道 広島県 山口県 福岡県』広島県51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ a b c d 『広島県紳士録 昭和8年版』広島市89頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ a b 『官報 1915年09月06日』官報 第929号 95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』広島38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ 『職員録 大正10年』広島県1335頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ 『広島高等師範学校・第二臨時教員養成所一覧 自大正14年至15年』第五目 職員222頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
- ^ 『官報 1937年06月29日』官報 第3145号 23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 大蔵省印刷局編『官報 1915年09月06日』日本マイクロ写真、1915年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 印刷局編『職員録 大正10年』印刷局、1921年。
- 広島高等師範学校編『広島高等師範学校・第二臨時教員養成所一覧 自大正14年至15年』広島高等師範学校、1922 - 1926年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 『現代展望・郷土誌 昭和10年度版 神奈川県 北海道 広島県 山口県 福岡県』帝国聯合通信社、1935年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1937年06月29日』日本マイクロ写真、1937年。
- 医事時論社編『日本医籍録 昭和15年版』医事時論社、1941 - 1942年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。