三舩浪盛吉

三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日[1] - 1943年9月23日[1])は、昭和時代の大相撲力士浅香山部屋井筒部屋所属[2]。本名は有川 盛吉[1][2]。最高位は十両5枚目[1]

経歴

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鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市)出身[2]。同郷の横綱であった三代目西ノ海の浅香山部屋に入門。1933年1月初土俵を踏む。間もなく師匠が亡くなり、井筒部屋に移籍する。1940年1月十両昇進[1][2]。連続5場所その地位にあったが、1942年5月に幕下に落ちてから休場続きで、三段目まで落ちた1943年9月23日、現役のまま死去した。

改名

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錦江洋→三船浪→三舩浪

脚注

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  1. ^ a b c d e 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、176頁。
  2. ^ a b c d 『昭和の大相撲 資料編』 312頁。

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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