三谷春道

みたに はるみち

三谷 春道
向かって左端が三谷。中央は高杉晋作、向かって右端は伊藤博文
生誕 国松
嘉永5年(1852年
日本(現山口県
死没 1935年昭和10年)8月
東京府東京市大森区(現東京都大田区
墓地 東京都目黒区正覚寺
国籍 日本の旗 日本
テンプレートを表示

三谷 春道(みたに はるみち、嘉永5年〈1852年〉- 1935年昭和10年〉8月)は、幕末から昭和にかけての人物。伊藤博文高杉晋作とともに撮影された写真で知られる[1]幼名は、国松(くにまつ)。

経歴

[編集]

の村上家に生まれた国松は高杉晋作に憧れ、子分となった。晋作が一時期名乗っていた「三谷和助」から姓をもらい、三谷を名乗った。 1867年に晋作が病死した際には、遺族から国松に形見分けとして羽織が贈られている。明治に入ると晋作の諱(春風)にあやかり春道と名乗った。1887年には2代目品川駅長に就任している[2]

人物

[編集]

本人は軍人になりたかったらしく、転職希望を聞いてもらうため伊藤の元を訪れたことがある[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 戦国と幕末
  2. ^ 萩ネットワーク
  3. ^ 伊藤博文関係文書

参考文献

[編集]
  • 萩ネットワーク2006年7月(70号)
  • 伊藤博文関係文書 1981-90p
  • 戦国と幕末 西村敏康2009

外部リンク

[編集]