不破央
ふわ ひさし 不破 央 | |
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生誕 | 1968年10月22日(56歳)![]() |
国籍 | ![]() |
職業 | 競泳選手 水泳指導者 水中パフォーマー |
活動期間 | 1981-2024年 |
著名な実績 | 1984年日本選手権優勝 1986年日本選手権優勝 1986年100m平泳ぎ日本記録 1986年アジア競技大会銀 ウォーターボーイズ振付 |
不破 央(ふわ ひさし、1968年10月22日 - )は、静岡県富士市生まれの元競泳選手。元100m平泳ぎ日本記録保持者。水中パフォーマンス集団「トゥリトネス」主宰。日本大学経済学部卒業[1]。
来歴
[編集]競泳
[編集]夏は暑いことに気付き、小学一年生でスイミングクラブ入会。スポーツクラブNAS所属の中学生時代、日本選手権の男子100m平泳ぎで2回の優勝(1984年、1986年)を果たし、春日部共栄高校[2]、日本大学、山形富士通[2]まで現役を続けた。
1986年6月8日、国際競技会派遣選手選考会(倉敷)で100 m平泳ぎの日本記録を更新。1986年9月、ソウルで行われたアジア大会100m平泳ぎでは、絶対的優勝候補ながら2位に終わる。1986年12月5日、全米オープン(フロリダ)で自身の日本記録を塗り替えて優勝したが、その後は低迷した[3]。
青年海外協力隊
[編集]1992年、バルセロナオリンピックの代表から漏れた後、富士通退社と同時に現役を引退。翌年、青年海外協力隊としてグアテマラに渡った。水泳普及と選手育成に携わる[3]中、川で練習する弱小水泳チーム「トゥリトネス」と出会い、生活の中のスポーツの在り方について深く考えさせられることに。
水中パフォーマー
[編集]1995年に帰国後、演劇の世界に入る。やりたい演劇を模索中に「クラウン(道化師)」の表現方法と出会い、技に磨きをかけるためワークショップやアメリカでのキャンプに多数参加。その後、水泳とクラウンを融合させたパフォーマンスチーム「トゥリトネス」を旗揚げした。1998年、テレビ朝日「ニュースステーション」の特集「水の道化師」で紹介され、知名度が上がる。演目にはアーティスティックスイミングのみならず、後ろに進むクロールなどの変則泳法、男性パフォーマーによるアクロバティックな技など、難易度が高いものも含まれる。ショーで演じる「おーちゃん」の名は、テレビ番組で山本寛斎氏と共演した際、「君の名前は『おう』と読めるね。世界中の人が発音できるからそれにしなさい」と命令されたのが由来である。
映画『ウォーターボーイズ』、テレビドラマ『WATER BOYS』、『WATER BOYS2』、『WATER BOYS2005』では水中演技を指導。公演で見せる「ひょうきんさ」を封印して鬼コーチとなった。また、シンクロ日本代表の表現指導コーチを務めた際に手掛けた演出は、海外で高い評価を得た。
前述の映像作品を模したパフォーマンスがブームとなり、それらの普及と安全対策啓蒙のため、「日本ダンススイミング協会」を設立し、会長に就任。2007年から開催しているダンススイミングフェスティバルには、全国の団体が出場している。
2018年にトゥリトネススイミング有明を開業し、経営、指導、選手育成をおこなっている。
活動26年目を迎えた2024年元日、年内での水中パフォーマー引退を発表。後日、映像ディレクター竹内佳嗣氏が最後の十ヵ月に密着し、ドキュメンタリー映画を制作することが決まった。現在、制作費のクラウドファンディングを実施している。
2024年12月22日の引退公演にて、出演数は1,015回に達した[3]。
人物
[編集]著書
[編集]- 『水泳の指導法がわかる本: よくわかるDVDシリーズ』(小学館、2012)ISBN 4091067220
- 『ドラえもんの体育おもしろ攻略 水泳がみるみる上達する』(監修、小学館、2015)ISBN 4092538707
- 『必ずうまくなる!!水泳 基本と練習法』(コズミック出版、2024)ISBN 4864902623
脚注
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.557
- ^ a b スポーツのチカラ 有限会社オフィストゥリトネス 代表取締役 不破央
- ^ a b c d 別府育郎 「いつか、なにかに」論説委員 日曜に書く『産経新聞』2024年10月20日。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 水の導化師 不破央 (@FuwaHisashi) - X(旧Twitter)
- 不破央 (fuwahisashi) - Facebook
- トゥリトネス
- トゥリトネス スイミング有明 (tsa1998.com)