世界のプロレス (団体)
世界のプロレス(せかいのプロレス)は、かつて存在した日本のプロレス団体。ウォーリー山口がブッカーを務め[1]、アメリカや韓国からも選手を招聘してシリーズを組んだ。
概要
[編集]1999年1月30日に小倉北体育館で旗揚げ、以後一週間ほど九州をサーキットする。参加選手は覆面レスラーのペプシ・ボーイとコーラ・キッド。アメリカ勢はビル・アーウィン、ジェフ・マンゲル、ザ・ヘイター、ブラッド・キーラー他。韓国からはコリアン・キラー結社(KKK)1号&2号とマネージャーのロッテリアン。日本からは青柳政司、川内大裕、伊藤力雄、アステカが参戦[2]。6月にもシリーズを開催し、NWA世界タッグ選手権試合(王者組が防衛)、ゲレーロ州ウェルター王座のタイトル戦(アルカンヘルが奪取)、トリプルK1号と2号(大木金次郎=魯智深)の仲間割れによる抗争などがあった[3]。この時も九州を中心にサーキットした。以降、同年12月および2000年9月にもシリーズを開催し、バリー・ダーソウなどを招聘[4]したが、その後は自然消滅した。
参加外国人選手
[編集]- ビル・アーウィン
- スーパー・デストロイヤー21号 / リポマン
- ジェフ・マンゲル
- ザ・ヘイター
- ブラッド・キーラー
- ナックルズ・ネルソン
- エリック・スプラッチャ
- アルカンヘル
- ホーラス・ザ・サイコパス
- KKK1号
- KKK2号
- ショーン・ヘルナンデス(ダブル・アイアン・シーク)
- ケーシー・ガイヤー(ダブル・アイアン・シーク)
参加日本人選手
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『Gスピリッツ Vol.13』P58「ウォーリー山口インタビュー 『ハブの牙』から始まる最底辺の物語」(2009年、辰巳出版、ISBN 4777807150)
- ^ 『週刊ゴング』日本スポーツ出版社、1999年2月25日、126、127頁。
- ^ 『週刊プロレス』ベースボール・マガジン社、1999年6月22日、48、49頁。
- ^ “クラッシャー・クルスチェフ”. 2023年4月2日閲覧。