中尾忠彦
中尾 忠彦 | |
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生誕 | 1887年3月31日 日本 佐賀県 |
死没 | 1948年8月31日(61歳没) ソビエト連邦 ハバロフスク地方 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1908年 - 1937年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
中尾 忠彦(なかお ただひこ、1887年(明治20年)3月31日[1] - 1948年(昭和23年)8月31日[1][注釈 1])は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に佐賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第30期卒業[1]。1932年(昭和7年)8月8日に陸軍歩兵大佐進級と同時に大村連隊区司令官に着任[3]。1934年(昭和9年)3月には歩兵第47連隊長に転じ[3]、1935年(昭和10年)3月には第2師団参謀長に就任した[3]。
1936年(昭和11年)3月に舞鶴要塞司令官に就任したが[1]、1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将に進級し待命[1][3]、8月22日に予備役に編入された[1]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、新義州陸軍兵事部長兼新義州地区司令官に就任した[4]。その後ソ連に抑留され、ハバロフスク地方で死去[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。