中山省三郎
中山 省三郎(なかやま しょうざぶろう、1904年1月28日 - 1947年5月30日)は、日本の詩人、ロシア文学翻訳家。
経歴・人物
[編集]茨城県生まれ。同郷の詩人・横瀬夜雨の薫陶を受けて詩作を始め、田畑修一郎の勧めで早稲田大学露文科に進み原久一郎に学ぶ。火野葦平・田畑とともに同人誌を発行し、ロシア文学を翻訳・研究。他に詩を書き、長塚節研究などを行った。
火野との交友は深く、1938年(昭和13年)10月18日に、火野から頼まれたとして陸軍省に国防献金として『麦と兵隊』の印税の一部である5,000円を納める役を担った[1]。
1947年(昭和22年)、持病であった喘息の発作により、43歳で死去。墓所は多磨霊園[2]
絵本作家画家・スペースデザイナーの小野かおるは娘。児童文学作家の小野里宴は孫娘にあたる。
著書
[編集]- 『ドストイェフスキイ』(三笠書房、ドストイエフスキイ全集 第24巻) 1937
- 『海珠鈔 随筆』(改造社) 1940
- 『羊城新鈔 詩集』(日孝山房) 1940.7
- 『ドウブツヱン』(帝國教育會出版部、新日本幼年文庫) 1942.11
- 『露西亜文学手帖』(生活社) 1943
- 『若きチェーホフ』(カホリ書房) 1948
- 『水宿 詩集』(中山富士子) 1956
- 『澳門記』(東京出版センター) 1967
- 『鴨跖草 歌集』(東京出版センター) 1972
- 『中山省三郎 七篇』(エディトリアルデザイン研究所、EDI叢書) 2000.7
共編著
[編集]- 『独習新露西亜語』(ワルワーラ・ブブノワ共著、春陽堂) 1932
- 『長塚節文学読本 春夏秋冬』(第一書房) 1937
- 『長塚節遺稿』(小山書店) 1942
- 『国民詩』第1 - 2輯(第一書房) 1942 - 1943
- 『長塚節歌集』(鎌倉書房) 1947
- 『左千夫の手紙』(八雲書店) 1947
翻訳
[編集]- 『散文詩』(ツルゲェネフ、第一書房) 1933、のち角川文庫
- 『自叙伝』(マルク・シャガール、第三書院) 1933、のち改題『夢のかげに』(創元社)
- 『猟人日記』(ツルゲェネフ、第一書房) 1933 - 1934、のち岩波文庫、角川文庫
- 『シエストフ選集 第1巻』(一部訳、改造社) 1934
- 『葬儀屋』(ア・エス・プウシキン、版画荘) 1934.10
- 『白痴』(三笠書房、ドストイエフスキイ全集 第6-7巻)、のち角川文庫
- 『カラマゾフの兄弟』(三笠書房、ドストイエフスキイ全集 第16-17巻) 1934 - 1935、のち角川文庫、のち研秀出版 1975
- 『モォツァルトとサルエーリ』(プゥシキン、版畫荘) 1935.6
- 『ツルゲエネフへの書簡』(三笠書房、ドストイエフスキイ全集 第22巻) 1936
- 『かくれんぼ / 白い母』(ソログープ、岩波文庫) 1937
- 『勝利と敗北 イプセンの生涯と芸術』(シェストフ、改造文庫) 1937、のち角川文庫
- 『プウシキン全集 第1 - 3巻』(神西清など共訳、改造社) 1936 - 1937
- 『スペェドの女王』(プゥシキン、書物展望社) 1937、のち春陽堂文庫
- 『永遠の伴呂』(メレシュコフスキイ、小山書店) 1940 - 1941、のち創元文庫 1952
- 『オネェギン』(プゥシキン、三笠書房) 1941、のち角川文庫
- 『ア・ブロオク詩 十二』(柏書店) 1946
- 『流浪の民 ロシア短篇珠玉集』(プゥシキン他、世界文学社、世界文学叢書) 1948
- 『あひびき ロシア短篇珠玉抄』(プウシキン他、青磁社) 1948
- 『外套』(ゴーゴリ、春陽堂文庫) 1949
- 『トルストイとニイチェ 教義における善』(シェストフ、創元社) 1952
- 『念珠抄』(アンナ・アフマトワ、人間の星社) 1977