中島彰一
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県石岡市 |
生年月日 | 1966年7月1日(58歳) |
選手情報 | |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について |
中島 彰一(なかじま しょういち、1966年7月1日 - )は、茨城県石岡市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、野球指導者。
来歴・人物
[編集]取手第二高校では捕手としてプレーし、高校3年生の時に1984年の夏の甲子園に出場し、決勝でPL学園の桑田真澄から決勝3ランを放ち、チームの全国制覇に貢献した[1]。同年の高校日本代表の韓国遠征のメンバーにも選ばれた。
東洋大学では3年秋に優勝を経験、4年次は主将を務めるが秋の入替戦で敗れた。黒須隆の入学後は控えとなった。1学年先輩に山下徳人がいた。社会人野球の住友金属鹿島のチームで主将も務めた。
引退後はコーチを経て、2002年から2008年まで、2015年から再度、日本製鉄鹿島の監督を務めている[2]。
また、社会人野球日本代表のコーチも務めた[3]。著書に『野球想像力を育てる捕手ドリル 差がつく練習法』がある。
2024年シーズン終了をもって監督を退任し、社業に専念する事を発表[4]。
脚注
[編集]- ^ “日本製鉄鹿島・中島監督惜敗も「木内イズム」見せた”. 日刊スポーツ. (2020年11月25日) 2022年4月19日閲覧。
- ^ <お知らせ> « 日本製鉄鹿島硬式野球部後援会
- ^ 中島 彰一|侍ジャパン選手プロフィール|野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト
- ^ “社会人野球 日鉄鹿島監督に藤沢コーチ昇格 /茨城”. 毎日新聞. (2024年12月6日) 2024年12月14日閲覧。