中部博
中部 博(なかべ ひろし 1953年9月5日[1] - )は、日本のノンフィクション作家。
人物
[編集]東京都目黒区生まれ。1972年高輪学園高等学校卒。1975年から『週刊プレイボーイ』特派記者などで取材して書く編集仕事を始めた。『思想の科学』1978年2月号に「街の夢を通る子供たち」を発表してノンフィクションを書き始め、1979年6月に編著書『暴走族100人の疾走』(第三書館)でデビューした。『世界』『朝日ジャーナル』『話の特集』『宝島』などに寄稿した。
25歳だった1979年4月から2年間、NHK教育テレビ『若い広場』のレギュラー司会者をつとめ、テレビとラジオに活動の場を広げた。 母親の介護とオートバイ事故のために1981年から6年間ほど活動を停止している。
1988年にF1グランプリを取材した『1000馬力のエクスタシー』を書き、カムバックを認められ、ノンフィクションライターの仕事を再開した。1999年は文化放送・日曜ラジオ特番『サンデーミュージックちゃった!』のパーソナリティを1年間つとめた。
上記のような職歴からドキュメンタリー映像ディレクターや編集者の仕事を好んでやる。 代表作に中国語の翻訳が出版された『いのちの遺伝子/北海道大学遺伝子治療2000日』と『世界が俺を待っている/本田宗一郎伝』(ともに集英社)がある。
無類の自動車レース好きとして知られ、レース関係の著書が多い。
編著書
[編集]- 『暴走族100人の疾走』(第三書館 1979年)
- 『流れる風は冷たいほうがいい』(筑摩書房 1987年)
- 『1000馬力のエクスタシー/HONDA-F1世界制覇への道』(集英社 1988年、集英社文庫 1991年)
- 『和風クルマ定食の疾走』(JICC出版局 1988年)
- 『自動車伝来物語』(集英社 1992年)
- 『世界が俺を待っている 本田宗一郎伝』(集英社 1994年)
- 『光の国のグランプリ/ワールド・ソーラー・チャレンジ』(集英社 1994年)
- 『走れ!ソーラーカー/光と夢の3000キロレース』(大日本図書 1996年)
- 『いのちの遺伝子 北海道大学遺伝子治療2000日』集英社 1998年ルポルタージュ
- 『基因治療』(章蓓蕾・訳/台湾・時事出版1999年)『いのちの遺伝子』中国語版
- 『定本 本田宗一郎伝』(三樹書房 2001年)
- 『ホンダ式 高収益自己実現の経営』(東洋経済新報社 2002年)
- 『スバル・メカニズム』(三樹書房 2004年)
- 『アメリカ・ホンダ・レーシング』(三樹書房 2005年)
- 『伝説のレースを追って』(ニューズ出版 2007年)
- 『炎上 1974年富士・史上最大のレース事故』文藝春秋 2012年)
- 『風をあつめて、ふたたび。』武田大祐写真 平原社 2014
ウェブサイト連載
[編集]- 小学館 BOOK PEOPLE ATLAS/中部博 DREAM POWER
注
[編集]- ^ 『現代日本人名録』