亀井茲建
亀井 茲建(かめい これたけ、旧字体:龜井茲建󠄁、1910年(明治43年)6月21日 - 1992年(平成4年)1月21日)は、日本の実業家。伯爵。旧津和野藩主亀井家第15代当主。元東北開発株式会社総裁。
略歴
[編集]- 1910年 - 島根県鹿足郡津和野町出身
- 1934年 - 東京帝国大学経済学部卒業、日本興業銀行に入る
- 1949年 - 検査部次長
- 1952年 - 福島支店長
- 1954年 - 富山支店長
- 1956年 - 北海道東北開発公庫理事
- 1957年 - 理事再任業務部長東北支店長を歴任
- 1963年 - 北海道東北開発公庫副総裁
- 1970年 - 東北開発株式会社総裁(1978年退任)
- 1980年 - 紀伊國屋書店監査役
- 1981年 - 東北電力監査面役
家族・親族
[編集]- 父 亀井茲常 東宮侍従として皇太子時代の昭和天皇に仕えた[1]
- 妻 正子(1915年6月4日生、伯爵有馬頼寧の四女[2]。有馬頼寧の母寛子は岩倉具視の娘。)
- 長男 茲基(1936年9月13日生[2])[3] 財団法人亀井温故館理事長[4]、本州製紙調査役[2]、2022年時点でも当主として存命[5]
- 次男 常彰(1938年7月10日生[2])学習院大学理学部卒、日立製作所主任研究員[2]。日立退職後、多目的ホール「光と風のミュージアム」を経営[3][6]。妻は志賀潔の孫。
- 三男 久興(元衆議院議員、元参議院議員)
- 長女 久美子(1941年7月19日生、田代紘雄に嫁する[2])
- 次女 多美子(1943年1月29日生、大倉喜七郎の長男喜六郎の二男・昭彦(大倉文化財団評議員[11])の妻)
- 三女 富美子(1944年9月19日生、石井寿晴の妻[2])
- 四男 建照(1946年9月5日生、中央大学勤務[2])
その他
[編集]実業家の横山正克とは中学の同窓、高等学校で同級生だった[13]。
墓所は島根県津和野町の亀井家墓所にあり、法号は覺誠院殿種德茲建大居士と贈られた。
東京帝大法学部在学中に赤化華族事件(治安維持法違反の容疑)で検挙されるも、二ヵ月以内に転向の意思を示したことにより起訴されず釈放された[14]。別途、華族としての処分が検討されることとなったが、父親の功績(皇太子の欧州外遊随行)が考慮され、宮内省の木戸幸一による厳しい叱責のみで処分は終了した[15]。
参考文献
[編集]- 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 カ…503頁
- 横山正克 『出雲国安来山城屋横山家家系補遺考証』 1983年
関連人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 亀井家第16代当主「昭和天皇に東宮侍従として仕えた祖父の日記を『実録』のために貸出」 週刊朝日、2014.10.10
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録30版』か223
- ^ a b 亀井茲常『人事興信録. 第12版上』
- ^ 亀井温故館(亀井家別邸)一般社団法人山口県観光連盟
- ^ https://www.town.tsuwano.lg.jp/www/contents/1503018612389/index.html
- ^ ~新幹事のご挨拶~亀井常彰(昭和36年大学理学部)学習院同窓会 湘南桜友会 会報19号(平成26年6月発行)
- ^ 『志賀潔』高橋功、法政大學出版局, 1957, p171
- ^ a b c 『人事興信録45版』か174
- ^ https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SS20231124/3036100010.pdf
- ^ 『出雲国山城屋横山家家系補遺考証』 553頁
- ^ http://111.89.203.229/outline/index.html
- ^ 『新日本人物大観』(島根県版) カ…503頁
- ^ 『出雲国山城屋横山家家系補遺考証』 604頁
- ^ 昭和史の大河を往く第六集 華族たちの昭和史 保阪正康 211, 213頁
- ^ 浅見雅男『反逆する華族』平凡社、2013年、142-145頁。ISBN 978-4-582-85697-2。
外部リンク
[編集]日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 亀井茲常 | 伯爵 (津和野)亀井家第3代 1942年 - 1947年 | 次代 (華族制度廃止) |