二条斉信

 
二条斉信
「摂家二條家墓基礎調査報告書」同志社大学歴史資料館
時代 江戸時代後期
生誕 天明8年3月5日1788年4月10日
死没 弘化4年4月26日1847年6月9日
別名 号:成徳院
墓所 右京区二尊院
官位 従一位左大臣
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 二条家
父母 父:二条治孝、母:徳川翰子(徳川宗翰の次女)
兄弟 斉通九条輔嗣西園寺寛季斉信九条尚忠、近子、松殿隆温、胤麿、増護、道永、信観、隆子、利子、親子、保子、嬉子、軌子、福子、多喜子、武子、広子、育子、柔子、近子、純姫、遂子、最子、常子
正室:徳川従子徳川治紀の三女)
斉敬清水谷咸麿広子など
養子:松園隆温
テンプレートを表示

二条 斉信(にじょう なりのぶ)は、江戸時代後期の公卿左大臣二条治孝の六男。官位従一位・左大臣。二条家25代当主。号は成徳院。

経歴

[編集]

天明8年(1788年)、二条治孝の子として京にて誕生。11代将軍・徳川家斉から偏諱を受けた。早世した兄・斉通の跡を継いだ。

文化12年2月26日 (1815年4月5日)右近衛大将内大臣。文化12年12月4日(1816年1月2日)右近衛大将を辞し同日左近衛大将に就任する。文政3年1月17日(1820年3月1日)左近衛大将を辞任、文政3年10月15日 (1820年11月20日)内大臣辞し同日右大臣となる。

文政7年1月5日 (1824年2月4日)右大臣を辞し同日左大臣に就任。文政7年(1824年)5月7日叙従一位。

弘化4年(1847年)薨去。

系譜

[編集]

関連項目

[編集]