京山小円嬢
「京山小圓嬢」とも表記する。
初代
[編集]京山 小円嬢(1903年 - 1973年9月16日)本名、和田房野。
和歌山県和歌山市の生まれ、1915年に初代京山小円に入門し円吉。1918年に小円嬢と改名。
夫で曲師の小馬松太郎との息の合った口演は絶品だった。冨士月子、初代春野百合子と三羽ガラスとして称えられた。
2代目
[編集]京山 小円嬢(1931年3月31日 - 2023年7月6日[1])本名、小西かよ子。
叔父が3代目京山小円だった縁で1946年に入門し京山小福を名乗る。1966年に菊地容子を経て1971年に引退し隠居中だった初代に譲り受け2代目小円嬢を襲名、襲名披露を大阪厚生年金ホールで行った。夫は曲師の菊池高士。ローオンレコードより『唐人お吉』を吹き込んでいる。第68回文化庁芸術祭大賞受賞。浪曲親友協会常務理事。
弟子には菊地まどかがいる。
脚注
[編集]- ^ “関西女流浪曲の第一人者、京山小円嬢さん死去”. 朝日新聞. (2023年7月9日) 2023年7月9日閲覧。
- ^ 女流浪曲師の京山小圓嬢さんが死去、92歳…2013年度文化庁芸術祭賞大賞 - 読売新聞 2023年7月9日
参考文献
[編集]- 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)
- 和歌山県:紀の国の先人たち-京山小円嬢 - 初代について