京極高義

京極高義

京極 高義(きょうごく たかよし、1874年明治7年)12月19日[1] - 1923年大正12年)9月1日[1][2])は、明治から大正期の政治家華族貴族院子爵議員

経歴

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但馬豊岡藩主・京極高厚の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い家督を継承し、1906年(明治39年)1月23日、子爵を襲爵した[1][3][4]

学習院を修了した[2][3]1915年(大正4年)11月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に所属して活動し[2]、死去するまで2期在任した[2][7]

東京市本所区本所亀沢町二丁目[3]の元旗本屋敷の自宅で関東大震災に遭遇し、向いの陸軍被服廠跡地に避難しようとしたが、長男の高光とその姉の智子を除き、一家共々落命した[8]

親族

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  • 母:登喜(とき、小林文次郎長女、1852年 - 1923年)[1][3]
  • 先妻:艶子(つやこ、内藤政挙女)[1]
  • 後妻:鉚(りゅう、柳沢光邦二女、1883年 - 1923年)[1]
  • 長女:智子(太秦康光夫人)[1]
  • 長男:高光(杞陽、貴族院子爵議員)[1]
  • 二女:孝子(1910年 - 1923年)[1][3][8]
  • 三女:妙子(1912年 - 1923年)[1][3][8]
  • 二男:高成(1915年 - 1923年)[1][8]
  • 三男:高弘(1918年 - 1923年)[1][8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『平成新修旧華族家系大成 上巻』519-520頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』42頁。
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録』第6版、き48-49頁。
  4. ^ 『官報』第6768号、明治39年1月24日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
  6. ^ 『官報』第993号、大正4年11月23日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  8. ^ a b c d e 『京極杞陽の世界』4-9頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1911年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 成瀬正俊編著『京極杞陽の世界』昭和俳句文学アルバム13、梅里書房、1990年。


日本の爵位
先代
京極高厚
子爵
豊岡京極家第2代
1905年 - 1923年
次代
京極高光