京都市立龍池小学校
京都市立龍池小学校 | |
---|---|
北緯35度0.0分42.9秒 東経135度45.0分33.4秒 / 北緯35.011917度 東経135.759278度座標: 北緯35度0.0分42.9秒 東経135度45.0分33.4秒 / 北緯35.011917度 東経135.759278度 | |
過去の名称 | 上京第二十五番組小学校 両池小学校 龍池小学校 龍池尋常小学校 龍池国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 明治2年(1869年)11月1日 |
創立者 | 上京第二十五番組 |
閉校年月日 | 平成7年(1995年)3月31日 |
所在地 | 〒604-0846 |
京都市中京区烏丸通御池上ル金吹町452 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
京都市立龍池小学校(きょうとしりつたついけしょうがっこう)は京都市中京区に1869年(明治2年)に創設され、1995年(平成7年)に廃校になった公立小学校。現在は改築され、京都国際マンガミュージアムとして利用されている。
概要
[編集]明治維新後の東京奠都により衰退の危機にあった京都の町衆が、1869年に町の区分であった『番組』を単位として64の『番組小学校』を創設した。これらは国の学校制度創設(1872年、明治5年)に先立った、日本における最初の学区制小学校である。その一つがこの龍池小学校であり、当初は上京第二十五番組小学校、また両替町御池に位置し両池小学校と称されていた。 校名の龍池は、二条御池殿にあった龍躍池(たつやくいけ)にちなむ[1]。
京都の中心部に位置する当小学校は開校以来京都の教育を牽引し、昭和30年代には児童数が800人を超えた。しかし、人口のドーナツ化現象や少子化等により、1994年(平成6年)には児童数が110人まで減少した。そのため、1995年(平成7年)、周辺の梅屋・竹間・富有・春日の4小学校と共に統合され、御所南小学校が別の場所に開校することとなった。
なお、龍池小学校の跡地には現在、京都国際マンガミュージアムが開設されている。
沿革
[編集]- 1869年(明治2年)- 上京第二十五番組小学校として御池通両替町西入龍池町に開校。京都府からの下付金に依ることなく、町衆の寄付のみで設立。(開校日:明治2年11月1日(旧暦)[2][3]。)
- 1876年(明治9年) - 両替町通御池上るに移転。校名を龍池に改称[4]。
- 1887年(明治19年)4月 - 龍池尋常小学校に改称[3]。
- 1901年(明治34年) - 高等科を設置し、龍池尋常高等小学校となる(高等科は1908年(明治41年)廃止)[3]。
- 1937年(昭和12年)5月 - 山科郊外学舎落成。郊外学舎による学習が始まる[4][5]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、京都市龍池国民学校に改称[4][6]。
- 1943年(昭和18年) - 廃校となった城巽国民学校の生徒を受け入れ[4]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により京都市立龍池小学校となる[4][7]。
- 1972年(昭和47年)11月 - 左京区大原に郊外学舎移転[4][5]。(郊外学舎は統合先の御所南小学校に引き継がれている。)
- 1995年(平成7年) - 閉校。竹間富有小学校、春日小学校、梅屋小学校との統合により、京都市立御所南小学校が元富有小学校地に開校。
- 2006年(平成18年)11月 - 元龍池小学校地に京都国際マンガミュージアムがオープン[1]。
通学区域(校区)
[編集]元学区の龍池学区と、第二次世界大戦後は城巽学区の一部を合わせた範囲を校区(通学区域)とした。
関係者
[編集]- 門川大作 - 元京都市長、元京都市教育長
- 奥野史子 - 元アーティスティックスイミング選手
龍池学区
[編集]龍池学区(たついけがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる元龍池小学校のかつての通学区域と合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
龍池学区の沿革
[編集]明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第25番組に由来し、同年には、区域内に上京第25番組小学校が創立した。
上京第25番組は、明治5年(1872年)には上京第28区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第28組となった。設置された上京第28番組小学校は、その後明治9年に校名を龍池に改称した[3]。
上京第28組は、学区制度により明治25年(1892年)には上京第23学区となった[8]。
昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、上京第23学区から龍池学区となり、中京区に属した[7]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[9]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
龍池学区の通学区域
[編集]龍池学区の小学校の通学区域は、現在学区全域が京都市立御所南小学校となっている。
人口・世帯数
[編集]京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[10]、龍池学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第3国勢統計区[注釈 1])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,275人、2,006世帯である。
地理
[編集]中京区の中央部に位置する学区であり、北側は梅屋学区と竹間学区、東側は初音学区、南側は明倫学区、西側は城巽学区に接する。区域は、概ね北は二条通、南は三条通、東は烏丸通、西は新町通であり[7]、面積は0.178平方キロメートルである[注釈 2]。
龍池学区内の通り
[編集]龍池学区の町名
[編集]- 秋野々町
- 二条殿町
- 虎屋町
- 場之町
- 金吹町
- 龍池町
- 柿本町
- 蛸薬師町
- 御池之町
- 円福寺町
- 役行者町
- 上妙覚寺町
- 下妙覚寺町
- 長浜町
- 突抜町
- 頭町
- 中之町
- 神明町
- 町頭町
- 東玉屋町
- 大恩寺町
- 西横町
周辺
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 令和2年国勢調査時点
- ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
出典
[編集]- ^ a b 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 12, 「龍池学区」.
- ^ a b 素晴らしきわがまち「龍池学区」 - ウェイバックマシン(2023年12月2日アーカイブ分)
- ^ a b c d e 『京都市学区大観』 (1937), pp. 65–66, 「中京区龍池学区」
- ^ a b c d e f g 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 63, 「京都市立龍池小学校」
- ^ a b 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 35, 「龍池小学校」.
- ^ a b “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。
- ^ a b c d 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 204–205, 「竜池学区」
- ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)「明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年。doi:10.11501/9575674。ISBN 9784582477092。
- 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637。
- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。
- 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年 。2024年3月2日閲覧。
- “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。
関連文献
[編集]- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。ISBN 4-582-49027-1。
- 「上京第二十三学区之部(碓井小三郎『京都坊目誌 上京之部 坤』(1915))」『京都叢書:新修 第15巻』光彩社、1968年、237-255頁。doi:10.11501/2997392 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 京都国際マンガミュージアム - ウェイバックマシン(2006年10月12日アーカイブ分)
- 素晴らしきわがまち「龍池学区」 - ウェイバックマシン(2023年12月2日アーカイブ分)
- 語りつがれるわがまち「龍池学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月25日アーカイブ分)
- 学校変遷図|京都市学校歴史博物館
- 京都市地域統計要覧ウェブサービス
- 京都市教育委員会事務局:京都市立小・中・小中学校の通学区域