仁和県
清 杭州府 仁和県 | |
← 979年 - 1912年 → | |
簡体字 | 仁和 |
繁体字 | 仁和 |
---|---|
拼音 | Rénhé |
カタカナ転記 | レンホー |
国家 | 清 |
建置 | 922年 |
改称 | 979年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
中国地名の変遷 | |
建置 | 922年 |
使用状況 | 1912年廃止 |
五代 | 銭江県 |
---|---|
北宋/遼 | 仁和県 |
南宋/金 | 仁和県 |
元 | 仁和県 |
明 | 仁和県 |
清 | 仁和県 |
中華民国 | 杭県 |
仁和県(じんわ-けん)は中華人民共和国浙江省杭州市にかつて存在した県。
歴史
[編集]922年(龍徳2年)、呉越により富陽県の長寿郷・安吉郷に設置された銭江県を前身とする。979年(太平興国4年)に北宋により仁和県と改称され、銭塘県と共に杭州の首県とされ、臨平・湯村・范浦・江漲橋の4鎮と9郷を管轄した。
南宋になると杭州への遷都が実施され、銭塘県及び仁和県は臨安府の首県とされた。銭塘県城内は6廂(左三廂、右二廂、右三廂、右四廂、城南左廂、城東廂)、37坊、城外には11郷44里が設置された。
元代に仁和県は杭州路の管轄、明代から清末にかけて杭州府の管轄に置かれ、杭州府の府治が設置されていた。1912年、銭塘県との統合が行われ杭県となった。
設置
[編集]廃止
[編集]
前の行政区画 銭江県 | 浙江省の歴史的地名 979年 - 1912年 | 次の行政区画 杭県 |