今村勝次
今村 勝次 | |
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生誕 | 1887年6月11日 日本 兵庫県 |
死没 | 1956年12月25日(69歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909年 - 1940年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
今村 勝次(いまむら かつじ、1887年(明治20年)6月11日[1] - 1956年(昭和31年)12月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]
経歴
[編集]1887年(明治20年)に兵庫県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第31期卒業[1]。1933年(昭和8年)1月に陸軍省軍事調査部調査班長となり[2]、同年3月に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1934年(昭和9年)に歩兵第14連隊長[2]、1936年(昭和11年)に陸軍習志野学校幹事を経て[2]、1937年(昭和12年)に陸軍少将に進級[2]。1938年(昭和13年)に歩兵第11旅団長に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。武漢攻略では大なる戦果を収め[1]、贛湘作戦でも指揮を執った[1]。
1939年(昭和14年)に陸軍中将に進級と同時に[2]、下関要塞司令官に転じた[1]。1940年(昭和15年)8月1日に待命[1]、8月31日に予備役に編入された[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。