伊万里市立伊万里中学校
伊万里市立伊万里中学校 | |
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北緯33度16分34秒 東経129度53分04秒 / 北緯33.27622度 東経129.88454度座標: 北緯33度16分34秒 東経129度53分04秒 / 北緯33.27622度 東経129.88454度 | |
過去の名称 | 伊万里町立伊万里中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 伊万里市 |
校訓 | 伊中生徒は 一. 形を正す 一. 挨拶をする 一. 負けじ魂をもつ 一. 物を大切にする 一. 思いやりの心をもつ |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C141220500012 |
所在地 | 〒848-0027 |
佐賀県伊万里市立花町4063番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
伊万里市立伊万里中学校(いまりしりつ いまりちゅうがっこう)は佐賀県伊万里市立花町にある市立中学校。略称「伊中(いちゅう)」。
概要
[編集]- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革で「伊万里町立伊万里中学校」として開校。現校名となったのは1954年(昭和29年)。1991年(平成3年)には伊万里市立啓成中学校を新設分離した。2022年(令和4年)には創立75周年を迎える。
- 校訓
- 伊中生徒は
- 一. 形を正す
- 一. 挨拶をする
- 一. 負けじ魂をもつ
- 一. 物を大切にする
- 一. 思いやりの心をもつ
- 校章
- 「中」の文字
- 校歌
- 作詞は片岡繁男、作曲は宮原禎次による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「伊万里中学校」が登場する。
- 通学区域
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、「伊万里町立伊万里中学校」が設置される。
- 伊万里町上黒尾乙1番地の伊万里高等青年学校の校舎を使用。初代校長は川崎文次。生徒数919名、学級数19。
- 教室不足で伊万里実科女学校(現・伊万里神社西側駐車場)校舎、伊万里町立第一小学校校舎(一部)も借用。
- 5月3日 - 開校式を挙行。
- 4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、「伊万里町立伊万里中学校」が設置される。
- 1951年(昭和26年)- 木造2階建て新校舎が完成。
- 1954年(昭和29年)4月 - 9町村の対等合併により伊万里市が市制施行。これにより、「伊万里市立伊万里中学校」(現校名)に改称。
- 1956年(昭和31年)- 立花町4040番地に鉄筋コンクリート造4階建ての新校舎(2期分)が完成し、移転を完了。
- 1958年(昭和33年)- 鉄筋コンクリート造4階建て校舎(3期分)が完成。
- 1960年(昭和35年)- 講堂兼体育館が完成。
- 1961年(昭和36年)
- 4月 - 特殊学級を新設。
- この年 - 前校舎(6教室)が完成。
- 1963年(昭和38年)- この年度の生徒数が1,891名(学級数41)と最高人数を記録する。
- 1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート造3階建て校舎(前校舎)を増築。
- 1967年(昭和42年)7月9日 - 集中豪雨による水害で、校地・校舎ともに浸水し、大きな被害を受ける。
- 1970年(昭和45年)- 新体育館用地を造成。
- 1971年(昭和46年)- 校舎1棟と旧体育館を解体。
- 1976年(昭和51年)- 鉄筋コンクリート造2階建て校舎を増築。
- 1977年(昭和52年)- 体躯部室が完成。
- 1984年(昭和59年)- プール、柔道場が完成。
- 1989年(平成元年)- 体育館の大規模改修を実施。
- 1991年(平成3年)4月 - 伊万里市立啓成中学校を新設分離。
- これにより、伊万里市立伊万里小学校区、伊万里市立牧島小学校区が啓成中学校区となる。
- 1991年(平成3年)から1993年(平成5年)にかけて校舎の大規模改修を実施。
- 1994年(平成6年)- 校訓を改定。
- 1997年(平成9年)- 校旗を新調。
- 2024年(令和6年)- 新校舎完成。グラウンド拡張工事完了
周辺
[編集]- 伊万里市立大坪小学校
- 伊万里市民図書館
- 伊万里簡易裁判所
- 大坪郵便局
- 敬徳高等学校