伊与田 光男(いよだ みつお、1895年6月19日 - 1959年3月18日)は、日本の経営者。資生堂社長を務めた。
大分県中津市出身。1920年に東京帝国大学理学部化学科を卒業し、大学院で研究活動をする傍らに福原資生堂に入社した。1930年に資生堂取締役に就任し、専務を経て、1954年6月に社長に就任した。
1957年に藍綬褒章を受章した。
1959年3月18日、脳溢血のためにで死去[2]。63歳没。
- ^ 1959年 3月26日 毎日新聞 朝刊 p11
- 興信データ株式會社『人事興信録 第19版 上』興信データ、1957年。