伊東泰治

伊東 泰治
人物情報
生誕 (1922-04-18) 1922年4月18日
日本の旗 日本山口県萩市
死没 2013年4月2日(2013-04-02)(90歳没)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 ドイツ文学
研究機関 三重県立大学名古屋大学
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伊東 泰治(いとう やすはる、1922年4月18日 - 2013年4月2日)は、日本ドイツ文学者名古屋大学名誉教授

経歴

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出生から修学期

1922年、山口県萩市で生まれた。1940年に山口県立山口中学校を卒業し、東京高等学校文科乙類に進んだ。1942年に卒業。京都帝国大学文学部ドイツ文学専攻に進み、1946年に卒業。

ドイツ文学者として

修了後は、三重県立医科大学予科教授に就いた。三重県立大学助教授、金沢大学法文学部助教授を経て、名古屋大学分校助教授に就いた。その後教養部助教授に配置換えとなり、教養部教授昇格。名古屋大学総合言語センター教授に配置換えとなり、同センター長を併任した。名古屋大学在職中、西ドイツアレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生として渡独し、ミュンヘン大学ハイデルベルク大学フライブルク大学に滞在して在外研究。1986年に名古屋大学を定年退官し[1]、名誉教授となった。

1986年4月からは中部大学教授として教鞭をとり、1995年に退任[2]。学界では、日本独文学会東海支部長を2期4年間務めた。

2013年に死去。90歳にて永眠[3]

受賞・栄典

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研究内容・業績

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専門はドイツ語ならびにドイツ文学で、中世や中世作品関する著作が多い。ドイツ中世最大の叙事詩ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハおよびミンネザング(中世ドイツ宮廷叙情詩)の革新者ナイトハルト・フォン・ロイエンタールの作品を全て翻訳した。

著作

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著書
  • 『ドイツ語分詞不定詞大学書林 1957
  • ドイツ語教育の基本的諸問題:統一試験の結果とそれに基づく提案』共著、南江堂 1971
  • 『Deutsche Lyrik des Mittelalters(中世ドイツ抒情詩選)』南江堂 1973
  • 中高ドイツ語小辞典』馬場勝弥・小栗友一・松浦順子・有川貫太郎と共編著、同学社 1991
  • 『新訂・中高ドイツ語小辞典』2001[6][7]
訳書
翻訳(紀要掲載)
  1. 第1・2巻『名古屋大学教養部紀要』17輯 1973
  2. 第3巻『名古屋大学教養部紀要』18輯 1974〕
  3. 第4巻『名古屋大学教養部紀要』C (外国語・外国文学) 19輯 1975
  4. 第5巻『名古屋大学教養部紀要』C (外国語・外国文学) 20輯 1976
  5. 第6・7巻『名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター紀要』C (外国語・外国文学) 21輯 1977
  6. 第8巻『名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター紀要』C (外国語・外国文学) 22輯 1978
  7. 第9巻『名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター紀要』C (外国語・外国文学) 23輯 1979
  • ティトゥレル英語版』ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ著、馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子との共訳
  1. 『言語文化論集』1巻, 名古屋大学総合言語センター 1980.3〕
  2. 『言語文化論集』2巻1号, 名古屋大学総合言語センター 1980.12〕
  • ヴォルラム叙情詩:TageliederとWerbelieder」馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子と共著
  1. 『言語文化論集』4巻2号, 名古屋大学総合言語センター 1983
叙情詩9篇の邦訳と解説
  • ナイトハルトの叙情詩』馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子との共訳
  1. その一:『言語文化論集』V-2, 名古屋大学総合言語センター 1984, 175-226頁.
  2. その二:『言語文化論集』VI-2, 名古屋大学総合言語センター 1985 367-427頁.
  3. その三:『言語文化論集』VII-2, 名古屋大学総合言語センター 1986 161-229頁.
ie Lieder Neidharts. Hrsg. von E. Wießner. 3. Auflage. revidiert von H. Fischer. Tübingen: Niemeyer 1968 (=ATB 44) 所収のナイトハルトの歌全ての邦訳

論文

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  • 伊東1950「独逸語の情感性について」『ドイツ文学』4, 日本独文学会
  • 伊東1952「「ニーベルンゲンの歌」における等族意識」『三重県立大学研究年報』1巻1号
  • 伊東1953「Walther von der Vogelweide「Spießbrathenspruch」について」『三重県立大学研究年報』1巻2号
  • 伊東1954「ワルター・フォン・デァ・フォーゲルワイデについて」『三重県立大学研究年報』1巻3号
  • 伊東1955「ヴァルターのTegernseespruch (L. 104, 23)について」『金沢大学法文学部論集文学篇』3
  • 伊東1957「Heinrich von Morungenについて」『名古屋大学教養部紀要』1輯
  • 伊東1958「ナイトハルト(Zu Neidharts Liedern)」日本独文学会『ドイツ文学』21号
  • 伊東1966「中世文学研究の意義と方法」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』4号
  • 伊東1967「パルチヴァールのプロローグ:その解釈のために」『名古屋大学教養部紀要』11輯
  • 伊東1968「中世文学におけるFehdeの問題」『名古屋大学教養部紀要』12輯
  • 伊東1971「パルチヴァールの文体 dunkel-krumm-humoristisch」『名古屋大学教養部紀要』15輯
  • 伊東1972「パルチヴァールとハルトマン」日本独文学会『ドイツ文学』49号, 61-69頁.
  • 伊東1977「聖杯王アンフォルタスの傷:中世のNaturkunde」『名古屋大学教養部・語学センター紀要』C(外国語・外国文学)21輯
  • 伊東1978「’Parzival’の構成の問題:Gurnemanz-Episodeを中心として」『名古屋大学教養部・語学センター紀要』C(外国語・外国文学)22輯
  • 伊東1979「Parzivalの原拠とKyotの問題」日本独文学会『ドイツ文学』63号
  • 伊東1980「吟遊詩人について」名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』I
  • 伊東1981「ゲーテ「Faust」の受容について」名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』II/2
  • 伊東1985「ドイツ中世文学とlocus amoenus(悦楽境)伝統の継承の問題(1)」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』17号
  • 伊東1986「ドイツ中世文学に現れたパロディー」『ドイツ中世文学におけるパロディー:ヨーロッパ中世文学と比較して』(昭和60年度科学研究費補助金(一般研究B)[59450051]研究成果報告書)
  • 伊東1986「ドイツ中世文学と私」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』18号
  • 伊東1990「Turnier、 BuhurtとTjost:詩と真実」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』22号
  • 伊東1991「Kontrafaktur(メロディー借用):Friedrich von HausenとHausen-Schule」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』23号
  • 伊東1994「トリスタンとイゾルト:文化の伝達の問題」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』26号
  • 伊東1995「谷崎潤一郎痴人の愛』とドイツ小話『アリストテレスとフィリス』」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』27号, 49-61頁.
  • 伊東1997「愛の洞窟 (Tr. 16985-17057) のアレゴリーとシャルトル学派の宇宙論」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』29号
  • 伊東1999「トリスタン物語の変容:アイルハルトからトマへ―」日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』31号

書評・その他

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  • 「『トリスタンとイゾルデ』について」(ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク作、石川敬三訳の書評)郁文堂 Brunnen Nr. 182 1976.2
  • 「フィッシャーさんのこと」同学社『ラテルネ』(Laterne) 36号1976.9 p.35
  • 「ドイツの魚料理あれこれ」:同学社『ラテルネ』(Laterne) 37号1977.3 pp.9-12
  • 「ドイツ中世文学を語る」(I)・(II)(中島悠爾・高津春久との座談会)郁文堂Brunnen Nr. 239・240 Jan./Feb. 1982
  • 「『ハルトマン作品集』を読んで」(ハルトマン・フォン・アウエの作品の中、平尾浩三訳「エーレク」、中島悠爾訳「グレゴーリウス」、相良守峯訳「哀れなハインリヒ」、リンケ珠子訳「イーヴェイン」を納める『ハルトマン作品集』の書評)郁文堂 Brunnen Nr. 245 1982.7 pp.5-9
  • 「郁文堂『和独辞典 第二版』の感想」郁文堂 Brunnen Nr. 254 1983.6
  • 「若き日の金沢」:同学社『ラテルネ』(Laterne)) 52号1984.9 pp.7-9
  • 「コンラートはEpigoneか」(コンラート・フォン・ヴュルツブルク作、平尾浩三訳『コンラート作品選』の書評)郁文堂 Brunnen Nr. 267 1984.10
  • 「『郁文堂 和独辞典』第三版、思いつくまま」郁文堂 Brunnen Nr. 380 1996.7 pp.9-11
  • 「小さな冬の宿」郁文堂 Brunnen Nr. 392 1998.7 pp.9-12
  • 「ヴォルフラム 聖金曜日の結末」〔天沢退二郎責任編集『週刊朝日百科 世界の文学56 ヨーロッパ I―6 アーサー王伝説、トリスタン物語ほか―神話の森から』朝日新聞社 2000.8.13。pp.184-185〕(『パルチヴァール』についての解説)

脚注

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  1. ^ 「伊東泰治教授略歴・業績」名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』VII/2(伊東泰治教授・宗和寶正教授退官記念号)1986.3。伊東泰治「楠の木の道」〔『名大教養部ニュース』No.56. 1986.1.25 pp.11-12; pp.12-13に、馬場勝弥による「伊東先生のご退官に際して」〕
  2. ^ 『中高ドイツ語小辞典』編集執筆者
  3. ^ 中日新聞』2013年(平成25年)4月5日(金曜日)付夕刊、D版 (13) 訃報欄;小栗友一による追悼文「伊東泰治先生を偲んで ―Wolfram 研究に捧げた一生―」〔日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』45号 2013 pp.163-165〕および「パルチヴァールにとりつかれた人生――伊東泰治先生の思い出――」〔同学社『ラテルネ』(Laterne)110号 2013.9.2. pp.22-23〕
  4. ^ 毎日新聞』昭和49年(1974年)11月5日(火曜日)付、新12版 (13); Mainichi Daily News, Saturday, November 23 1974, (4) (A) <Translation Awards For 4 Works, 5 Publishers> & Mainichi Daily News, Sunday, November 24 1974, (4) (C) < Translation Awards Presented In Rite>.
  5. ^ 財団法人 ドイツ語学文学振興会『ひろの』40号 2000。pp.2-3に、略歴と小栗友一による「伊東泰治先生のこと」
  6. ^ 本邦初の中世ドイツ語辞典
  7. ^ ドイツ語表記では、Mittelhochdeutsch-Japanisches Taschenwörterbuch。Kozo Hirao(平尾浩三)による書評 (Germanistik: internationales Referatenorgan mit Bibliographischen Hinweisen 33. Jg. (1992), 3/4 (Tübingen, Niemeyer))、松浦純による書評(日本独文学会『ドイツ文学』89号 1992 pp.154-156)および古賀允洋による書評(『図書新聞』1991年11月16日付)において、中世ドイツ語の優れた文学作品を読む際に非常に役に立つ、旨の高い評価が与えられている。
  8. ^ 書評には、日本独文学会機関誌「ドイツ文学」54号 1975掲載の平尾浩三によるものの他多数あるが、新聞紙掲載の後、単行本に再録された書評に、国松孝二のもの(「週刊読書人」1974.7.22. 再録:同著『浮塵抄』同学社 1988. ISBN 4-8102-0078-7 C 1098, pp.177-180)と濱川祥枝「華麗なるヨーロッパ中世騎士絵巻――『パルチヴァール』の翻訳に寄せて」(「毎日新聞」1974.4.16. 再録:同著『續ひとくぎり』私家版1994. pp.283-285)がある。
  9. ^ 本書は最初の日本語散文訳。
  10. ^ ISBN 4-261-07118-5
  11. ^ 全6巻の最初の書物となった。
  12. ^ 有川は第3巻から、松浦は第5巻から