伊藤 忠一(いとう ちゅういち)は、日本の法務官僚、外交官。リオデジャネイロ総領事、駐ネパール特命全権大使等を経て、日本ネパール協会会長を務めた。
岩手県生まれ[1]。岩手県立一関第一高等学校を経て、1955年東北大学文学部卒業[2]。1956年法務省入省。1962年外務省入省[1]。1974年外務大臣官房領事移住部旅券課長[3]。1978年在中華人民共和国日本国大使館参事官[4]。1980年在ペルー日本国大使館参事官、リマ総領事[5]。1983年リオ・デ・ジャネイロ総領事[6]。1987年駐エティオピア特命全権大使[7]。同年勲五等双光旭日章受章[8]。1990年駐ネパール特命全権大使[9]。退官後、日本ネパール協会(日ネ協会)会長や[10][11]、セブンサミッツ持続社会機構特別顧問を務めた[12]。2008年瑞宝中綬章受章[13]。
- ^ a b 時の動き 21(25)(539) 内閣府 編 (国立印刷局, 1977-12)
- ^ 週刊読売 = The Yomiuri weekly 39(33)(1659);1980・8・10 (読売新聞社, 1980-08)
- ^ 官報昭和49年本紙第14277号 13頁
- ^ 官報昭和53年本紙第15411号 15頁
- ^ 官報昭和55年本紙第16148号 22頁
- ^ 官報昭和58年本紙第16835号 8頁
- ^ 官報昭和62年本紙第18192号 10頁
- ^ 官報昭和62年号外第133号 1頁
- ^ 官報平成2年本紙第534号 10頁
- ^ 全日本仏教会の歩みと展望 : 財団創立50周年記念 電子書籍・電子雑誌 財団創立50周年記念実行委員会記念誌編纂部会 (全日本仏教会, 2009-10-31)
- ^ 国際いけ花だより(’08.9.16)国際いけ花協会
- ^ 理事・スタッフ紹介セブンサミッツ持続社会機構
- ^ 官報平成20年号外第89号 15頁
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領事 | - N/A
- 齋藤和
- N/A
- 淀川正樹1940-
- 閉鎖1942
- 再開1952
- N/A
- 総領事館に昇格1980
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総領事 | |
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在リオデジャネイロ日本総領事 (1983年 - 1987年) |
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在リオデジャネイロ総領事(ペトロポリス常駐) | - 在ブラジル弁理公使/全権公使が兼任1897-1913
- 珍田捨巳弁理公使1897-1899
- 大越成徳弁理公使→全権公使1899-1903
- 堀口九萬一臨時代理公使1903-1904
- 杉村濬全権公使1904-1906
- 内田定槌全権公使1906-1911
- 藤田敏郎臨時代理公使1911-1913
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在リオデジャネイロ総領事(リオ常駐) | |
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在リオデジャネイロ総領事(サンパウロ常駐) | - 松村貞雄1914-1915(名目上はリオ総領事だが、サンパウロ常駐で実質的にはサンパウロ総領事)
- 総領事館閉鎖1915
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在リオデジャネイロ全権公使(リオ常駐) | - 公使館開設(ペトロポリスより移転)
- 堀口九萬一1918-1923
- 大使館昇格
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在リオデジャネイロ全権大使(リオ常駐) | - 田付七太1923-1926
- 有吉明1926-1930
- 林久治郎1932-1934
- 沢田節蔵1934-1938
- 桑島主計1938-1940
- 石射猪太郎1940-1942(引き続き1944年まで東京で待命大使)
- 国交断絶
- 国交再開
- 君塚慎1952-1955
- 安東義良1955-1961
- 田付景一1961-1967
- 千葉皓1967-1970(大使としてはブラジリアで引き続き1971年まで駐箚)
- 大使館閉鎖(ブラジリアに移転)
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在リオデジャネイロ総領事(リオ常駐) | |
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在エチオピア全権公使 | - 公使館開設1936.1
- 鈴木九萬臨時代理公使1936.1-1936.6
- イタリアがエチオピア併合1936.5
- 藪内一郎事務取扱1936.6-1936.12
- 閉鎖1936.12
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在アディスアベバ領事 | - 領事館開設1936.12
- N/A
- イタリアがエチオピア撤退1941.11
- 国交断絶1942.12
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在エチオピア全権公使 | - 国交再開1952.6
- 外交関係回復1955.7
- 与謝野秀1955-1956(カイロ常駐)
- 土田豊1956-1957(カイロ常駐、在エジプト/アラブ連合大使としては引き続き1960年まで駐箚)
- 徳永太郎1957-1958(アディスアベバ常駐)
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在エチオピア全権大使 | |
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