伊藤文子
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1960年のオリンピックでの伊藤文子 | ||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||
フルネーム | いとう ふみこ | |||||||||||
ラテン文字 | Fumiko Ito | |||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||
競技 | 陸上競技 | |||||||||||
種目 | 走幅跳 | |||||||||||
生年月日 | 1940年3月5日(84歳) | |||||||||||
出身地 | 日本 茨城県 | |||||||||||
身長 | 159cm | |||||||||||
体重 | 49kg | |||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||
走幅跳 | 6m11(1961年)[1] | |||||||||||
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伊藤 文子(いとう ふみこ、1940年3月5日 - )は、日本の走幅跳選手。日本選手権2連覇、元日本記録保持者。1960年ローマオリンピックに出場し、1962年アジア競技大会では銀メダルを獲得した[2]。夫も陸上競技選手の鈴木章介(1964年東京オリンピックに十種競技で出場)で、結婚後は鈴木姓を名乗っている[3]。次男は元プロ野球選手の鈴木望。
経歴
[編集]茨城県龍ケ崎市出身[4]。茨城県立竜ヶ崎第二高等学校卒業[5]。高校卒業後はリッカーミシンに所属[5][注釈 1]。1959年には日本陸上競技選手権大会女子走幅跳で優勝。翌1960年の日本選手権で2連覇を果たした。
1961年4月29日には走幅跳で6m11を記録[1]。山内リエが1947年に立てた記録(6m07)を塗り替える日本記録であった[注釈 2]。
備考
[編集]- 竜ケ崎市の流通経済大学龍ケ崎フィールド(たつのこフィールド)には、伊藤の日本記録樹立を記念し、高さ6m11の「伊藤記念ポール」が立てられている[4]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “日本歴代100傑に残る古い記録/女子・全種目別編”. 日刊スポーツ (2011年6月2日). 2021年8月18日閲覧。
- ^ Fumiko Ito Archived December 3, 2016, at the Wayback Machine.. sports-reference.com
- ^ “鈴木章介さん、期待と重圧「出たものしか分からない」…64年東京五輪・十種競技15位” (2019年7月19日). 2021年8月18日閲覧。
- ^ a b 龍ケ崎タイムズ @ryugasaki_times (2019年12月6日). “たつのこフィールドのメインスタンド脇に立つ6m11cmの伊藤記念ポール!”. twitter. 2021年8月18日閲覧。
- ^ a b 束原 2013, 266頁.
- ^ “立川市にゆかりのあるオリンピアン・パラリンピアン”. 立川市. 2021年8月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、2013年、242-316頁。