伊達村常
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦9年(1759年) |
死没 | 享和3年11月11日(1803年12月24日) |
別名 | 此面、安芸(通称) |
主君 | 伊達重村、斉村、周宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 角田石川家、涌谷伊達家 |
父母 | 石川村俊、伊達村緝娘 伊達村倫 |
兄弟 | 源太郎、俊明、勇五郎、石川村文、 純晴、通忠、村常ら |
妻 | 中島実信娘 |
子 | 村清、恒、良、但木直行、中島清徳、 坂常直、下郡山常陳、任行、利野 |
伊達 村常(だて むらつね)は、江戸時代中期から後期にかけての武士。陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家9代(亘理氏27代)当主。
略歴
[編集]宝暦9年(1759年)、石川村俊の九男として誕生。安永5年(1776年)11月20日、伊達村倫が危篤に陥ると仙台藩7代藩主・伊達重村の命により、後嗣となる。安永6年(1777年)2月25日、家督を継ぎ、重村の偏諱を受けて村常と諱を改め、安芸(通称)を称する。安永7年(1778年)6月21日、中島実信の娘を室に迎える。安永8年(1779年)9月25日、嫡子・源五郎(後の伊達村清)が産まれる。
安永10年(1781年)3月26日、一女・恒が産まれるが早世する。天明2年(1783年)6月17日、一女・良が産まれる。天明3年(1784年)3月15日、側室の子・熊次郎が産まれる。同年3月23日、水沢伊達氏の伊達村福の家政輔監となる。天明4年(1785年)1月19日、次子・兵三郎が産まれる。天明5年(1786年)1月27日、三子・此面が産まれる。同年8月26日、側室の子・元三郎が産まれる。寛政元年(1789年)11月24日、四子・千熊が産まれる。
寛政8年(1796年)4月21日、仙台藩前藩主・伊達重村、同年8月21日、藩主・伊達斉村が相次いで病死すると幼少の政千代(後の伊達周宗)が宗家家督を継ぐが、村常、伊達村氏(亘理伊達家)、伊達幸充(登米伊達家)が呼ばれて年番(3交代)の補佐役に任じられ、重村の弟で幕府若年寄・堀田正敦(近江国堅田藩主)がその後見人になった。
享和2年(1802年)11月、涌谷妙見社奥院を建築した。享和3年(1803年)11月11日、脳卒中により病死した。享年45。
系譜
[編集]偏諱を受けた人物
[編集]関連項目
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