伊達村純

 
伊達村純
時代 江戸時代
生誕 延享3年5月13日1746年7月1日
死没 寛政7年3月2日1795年4月20日
別名 兵力、安房、河内
戒名 真竜院殿照山英賢大居士
墓所 大雄寺宮城県亘理郡亘理町
主君 伊達重村
仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達村実、母:石川村満の娘
兄弟 村純、逸(田村村隆室)、豊(伊達村富室)、吉(石川村煕室)、喜由(伊達村賢室)村好
正室:献樹院(白河村広の娘)
村氏
養子:村好
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伊達 村純(だて むらずみ)は、江戸時代中期の仙台藩一門第二席・亘理伊達家第8代当主。

生涯

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延享3年(1746年)、亘理伊達家第7代当主・伊達村実の長男として生まれる。幼名は兵力

宝暦7年(1757年)11月、父村実の死去により家督相続し亘理邑主となる。宝暦8年(1758年)7月、藩主伊達重村に初めて拝謁する。宝暦9年(1759年)藩主重村の加冠により仙台城元服し、偏諱を受けて村純と名乗る。[1]

宝暦12年(1762年)10月、白河村広の娘と結婚した。

明和4年(1767年)2月に病のため隠居。嫡男兵力(村氏)はまだ幼いため、弟の英之介(村好)が家督を相続した。[1]

寛政7年(1795年)3月2日、死去。享年50。

出典

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  1. ^ a b 亘理町史

参考文献

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  • 『伊達世臣家譜』
  • 『亘理町史』