佐々木正詞
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県名東郡佐那河内村 |
生年月日 | 1980年6月30日(44歳) |
身長 体重 | 178 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
佐々木 正詞(ささき まさし、1980年6月30日 - )は、日本の元野球選手(外野手)。2003年より日本生命硬式野球部に所属している。
経歴
[編集]徳島県名東郡佐那河内村で育ち、徳島商に進む[1]。自宅から高校まで毎日1時間以上かけて自転車で通学していたという[2]。1年秋から外野手のレギュラーとなり、秋の県大会・四国大会ではチームトップの打率.510を記録して選抜大会出場に貢献した[1]。本大会は初戦で長崎伸一を擁する天理と対戦し、サヨナラ負けを喫している。2年夏も選手権大会に出場し、兵動秀治のいる佐賀商業を2回戦で破るなど準々決勝まで進んだが、川口知哉を擁する平安に敗れた。
2年秋も1番打者として県大会と四国大会の14試合で打率.526、8盗塁の成績で3季連続の甲子園出場を支え[3]、小谷野栄一らとともに全国屈指の巧打者として注目されていた[4]。松本拓也を擁する日本航空との初戦では5打数4安打2盗塁の活躍を見せた[5]が、3回戦で敗れた。3年夏も選手権大会に出場し、初戦で岐阜三田に敗れている。
高校卒業後は亜細亜大学に進み、同期の小山良男とともに1年春のリーグ戦からレギュラーとなった[6]。1年秋のリーグ戦では打率.316でベストナインに選ばれ[7]、2年春は主に3番・中堅手として打率.327の成績を残してベストナインとなり[8]、チームの優勝に貢献した。4年生の2002年には全日本大学選手権で優勝し、同期の小山、木佐貫洋らとともに日米大学野球の代表に選ばれている。同年秋もリーグ優勝し、3度目のベストナインに選出された[9]。4年間で、東都大学リーグ史上6位となる通算107安打を放っている[10][11]。
日本生命に進むと1年目からレギュラーとなり、日本選手権では初戦の対三菱重工長崎戦で先制のランニング3ランホームランを放っている[12]。2004年は俊足好打の野手としてドラフト指名候補と目され[13]、JABA岡山大会では優勝に貢献してベストナインに選ばれた[14]。2005年は5月のアジア選手権代表、9月のIBAFワールドカップ代表にそれぞれ選ばれ、器用さと勝負強さを評価されて日本生命と同じ1番ではなく6番打者を任された[15]。
2005年と2006年は2年連続で社会人ベストナインに選ばれ、2012年には都市対抗野球大会10年連続出場を果たして表彰されている[16]。
脚注
[編集]- ^ a b 朝日新聞、1997年3月21日付朝刊、徳島地方面
- ^ 朝日新聞、1998年3月21日付朝刊、徳島地方面
- ^ 毎日新聞、1998年3月29日付朝刊、山梨地方面
- ^ 毎日新聞、1998年3月25日付朝刊、P.9
- ^ 朝日新聞、1998年4月2日付朝刊、徳島地方面
- ^ 朝日新聞、1999年4月6日付朝刊、P.21
- ^ 読売新聞、1999年10月30日付朝刊、P.18
- ^ 読売新聞、2000年5月26日付朝刊、P.20
- ^ 朝日新聞、2002年11月6日付朝刊、P.14
- ^ 東都大学野球連盟公式記録
- ^ Number web 野ボール横丁
- ^ 毎日新聞、2003年11月20日付朝刊、大阪地方面
- ^ 毎日新聞、2004年3月6日付朝刊、P.21
- ^ 毎日新聞、2004年4月23日付朝刊、岡山地方面
- ^ 毎日新聞、2005年3月12日付夕刊、大阪本社版、P.3
- ^ 毎日新聞、2012年7月17日付朝刊、P.22