佐織町
さおりちょう 佐織町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
織田弾正忠平朝臣信定古城蹟(勝幡城跡) | |||||
| |||||
廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 佐織町、佐屋町、八開村、立田村 → 愛西市 | ||||
現在の自治体 | 愛西市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 愛知県 | ||||
郡 | 海部郡 | ||||
市町村コード | 23432-0 | ||||
面積 | 11.12 km2 | ||||
総人口 | 23,345人 (2004年4月1日) | ||||
隣接自治体 | 津島市、稲沢市、海部郡美和町、立田村、八開村、中島郡平和町、祖父江町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | キク | ||||
佐織町役場 | |||||
所在地 | 〒496-8601 愛知県海部郡佐織町大字諏訪字池埋500番地1 | ||||
座標 | 北緯35度11分39秒 東経136度44分19秒 / 北緯35.19406度 東経136.73869度座標: 北緯35度11分39秒 東経136度44分19秒 / 北緯35.19406度 東経136.73869度 | ||||
ウィキプロジェクト |
佐織町(さおりちょう)は、かつて愛知県西部の海部郡にあった町である。
歴史
[編集]1906年(明治39年)、海東郡の勝幡村、藤浪村、川淵村、草場村、諸古村が合併して海東郡佐織村となった。1913年(大正2年)、海東郡と海西郡が合併して海部郡となったことで海部郡佐織村となった。1925年(大正14年)、旧諸古村の一部が津島市に編入された。1939年(昭和14年)、佐織村が町制を施行して佐織町となった。
2005年(平成17年)4月1日、海部郡佐屋町、立田村、八開村、佐織町が合併して愛西市が発足した。合併後の人口は約65,000人となり、市役所は旧佐屋町役場に設置された。
地理
[編集]- 河川: 日光川
行政
[編集]歴代町長
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 前野 元次郎(1944年11月25日 - 1946年11月3日)[1]
- 高木 義雄(1947年4月6日 - 1949年4月6日)[1]
- 堀田 秀丸(1949年5月26日 - 1951年4月2日)[1]
- 水谷 亮次(1951年5月18日 - 1955年5月17日)[1]
- 太田 幸一(1955年5月18日 - 1963年5月17日)[1]
- 堀田 秀丸(1963年5月18日 - 1979年5月17日)[1]
- 八木 彰(1979年5月18日 - )[1]
- 八木 忠男(1999年5月18日 - 2005年3月31日)
- 八木は佐織町として最後の町長であり、合併後の愛西市初代市長にもなった。
教育
[編集]高等学校
[編集]中学校
[編集]小学校
[編集]- 佐織町立北河田小学校
- 佐織町立草平小学校
- 佐織町立勝幡小学校
- 佐織町立西川端小学校
- 愛西市でも他の旧3町村の小学校は私服であるが旧佐織町立だった小学校は現在でも制服が制定されている。
- 令和6年に愛西市立中学校共通のブレザー型の制服の導入が決まっている。
- 旧佐織町立4小学校が同型の制服を導入するかは公表されていないがその場合現行各小学校制服のスカートについてるサスペンダーの廃止、自由化の可能性は考えられる。
- 愛知県内の小学校で標準服を導入しているのは刈谷市内の旧依佐美村だった地域の 刈谷市立小垣江小学校、刈谷市立小垣江東小学校、刈谷市立東刈谷小学校、刈谷市立朝日小学校と岡崎市の岡崎市立六名小学校等少数である。