信友直子
のぶとも なおこ 信友 直子 | |
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生年月日 | 1961年 |
出生地 | 広島県呉市 |
職業 | テレビディレクター、ドキュメンタリー映画監督 |
ジャンル | テレビ、映画 |
主な作品 | |
ドキュメンタリー映画 『ぼけますから、よろしくお願いします。』 |
信友 直子(のぶとも なおこ、1961年 - )は、日本のテレビディレクター、ドキュメンタリー映画監督。
経歴
[編集]広島県呉市生まれ。呉市立片山中学校、広島大学附属高等学校を経て、東京大学文学部を卒業後、森永製菓に入社。広告部に所属していた際に、グリコ・森永事件の取材を受けたことが契機となり、映像制作プロダクションに転職[1]。
2006年に休暇中のインドで列車と接触して骨盤骨折し、2007年には乳がん発症[2]。2009年、自らのがんの闘病記録のドキュメンタリー『おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記』がニューヨークフェスティバル銀賞、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。2010年にはフリー作家に転身した。
2016年9月、両親の老々介護の状況をフジテレビの情報番組『Mr.サンデー』で2週にわたって放送[3]。2018年11月には初の劇場公開作としてドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を発表した[4]。動員20万人を超える大ヒットとなり、文化庁映画賞と文化記録映画大賞を受賞した[5]。また、第19回新潮ドキュメント賞候補にあがった。
2020年、呉に長めの帰省を行い、母親を見送っている[6]。父に手を握られながら旅立った母の最期の様子を崇高なものを前にした感覚とその後に話している[7]。
2022年3月25日には『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえり お母さん〜』が公開された。
家族
[編集]信友は、父が41歳、母が33歳の時に生まれたひとり娘である[8]。2001年頃から里帰りのたびに家庭用ビデオカメラで両親の様子を撮影して撮りためていた[8]。 2014年に母が認知症と診断された時に一度は記録するのを躊躇ったが、両親の日常の風景であることを受け止めて記録し続けた。2018年に母が脳梗塞で倒れた後、故郷に戻ることも考えたが「娘が東京で活躍している姿を見ることが喜びであり希望」「自分たちの介護のために娘の将来を犠牲にすることはいけない」という父に断られている[9]。『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえり お母さん〜』(2022年)公開時には100歳を越えた父は、周囲にサポートを受けながら独り暮らしを続けている。
脚注
[編集]- ^ “信友直子 著者プロフィール”. 新潮社. 2020年10月27日閲覧。
- ^ 自著『ぼけますから、よろしくお願いします。』p120
- ^ “「カメラ越しに向き合った、認知症の母」ドキュメンタリー監督 信友直子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第24回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2022年6月24日). 2024年4月30日閲覧。
- ^ “『ぼけますから、よろしくお願いします。』信友直子監督が凄い!”. FRIDAY DIGITAL (2018年11月16日). 2020年10月27日閲覧。
- ^ 映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』公式サイト
- ^ "信友直子 母の今際のきわに99歳の父が「わしももうすぐ行く」と言うのを聞いて。2人にとって別れはちょっとの間なんだ、またすぐ会えるんだと思うと穏やかな気持ちになれた<後編>". 婦人公論. 2022年8月9日. 2022年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月2日閲覧。
- ^ “「父と母が交わした最後の約束」映画監督 信友直子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第24回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2023年8月4日). 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b “認知症の母、父101歳、一人娘60歳 映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の続編が語りかけてきたこと”. なかまある. 朝日新聞社 (2021年12月15日). 2024年9月21日閲覧。
- ^ “認知症になっても続く「正解のない日常」ひとり娘が映画にした理由”. withnews. 朝日新聞社 (2018年10月27日). 2024年9月21日閲覧。