元昌寺
元昌寺 | |
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所在地 | 岐阜県多治見市根本町9丁目[1] |
位置 | 北緯35度21分31.9秒 東経137度04分39.7秒 / 北緯35.358861度 東経137.077694度座標: 北緯35度21分31.9秒 東経137度04分39.7秒 / 北緯35.358861度 東経137.077694度 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派[2] |
本尊 | 聖観音菩薩[1] |
創建年 | 天正12年(1584年)[2] |
開山 | 絶同[2] |
開基 | 若尾元昌[2] |
文化財 | 根本宝篋印塔(市指定文化財)[3] |
法人番号 | 9200005008209 |
元昌寺(げんしょうじ)は、岐阜県多治見市根本町にある寺院。臨済宗妙心寺派[2](聖沢派[4])。号は高社山[1]。本尊は聖観音菩薩[1]。
歴史
[編集]開基は、森長可に仕えた若尾甚正元昌であり[1][5][2]、開山は絶同であるとされる[1][2]。
創建の時期は、永禄年間(1558年 - 1570年)[5]あるいは天正12年(1584年)9月[1][2]とされる。
滋賀県湖南市の妙感寺の末寺であったが、一時的に八百津町の正傳寺の末寺であったことがある[1]。
「元昌禅寺記」には、無本寺の寺院は法度であるから、正傳寺を通じて大本山妙心寺の直末となった。と記されている。
それからおよそ百年後の猷峯の代に「文金五十両にて正傳寺の支配を離縁し、雲照山の正灯を招て法系存続す」と再び妙感寺の末寺となったことを「元昌禅寺記」は伝えている。
文化財等
[編集]境内には三基の宝篋印塔があり、多治見市の市指定文化財となっている[3]。
これらは若尾氏の先祖の墓にあたると伝えられている[5][2]。
三基の宝篋印塔のうち、一基には明徳4年(1393年)の銘が刻まれており、別の一基には応永21年(1414年) の銘が刻まれている[5][2]。
また、如意輪観音像をはじめとする多くの石仏が境内には並んでおり、西国三十三所を模したものであるとされる[6]。
これらの石仏は近隣などの職人の手によって江戸時代後期に作られたものであり、当時の住職の仁哉が記した「卅三所建立名目記」という史料によって、願主なども伝えられている[6]。
なお、境内のツバキは多治見市の保存樹に指定されている[7]。
寺院西方の城山には若尾氏の居城である根本城の城跡が存在する[5]。
交通
[編集]- JR太多線根本駅から、徒歩およそ15分
参考文献
[編集]『多治見市史 通史編 上』 第三編 近世 第七章 宗教と寺社 第三節 寺院 元昌寺 p750~p751 多治見市 1980年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 吉岡勲 監修『多治見市史 通史編 上』多治見市、1980年、750-751頁。
- ^ a b c d e f g h i j 所三男 編『岐阜県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1989年、779頁。ISBN 9784582490213。
- ^ a b “指定文化財”. 多治見市文化財保護センター (2018年9月25日). 2018年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月27日閲覧。
- ^ 吉岡勲 監修『多治見市史 通史編 上』多治見市、1980年、749頁。
- ^ a b c d e f 吉岡勲 監修『多治見市史 通史編 上』多治見市、1980年、455頁。
- ^ a b 吉岡勲 監修『多治見市史 通史編 上』多治見市、1980年、896-897頁。
- ^ “保存樹・保護地区”. 多治見市 (2015年12月18日). 2018年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月27日閲覧。