兕
兕(呉音: じ、漢音: し、拼音: )は、古代中国の文献に出てくる動物の一種。牛に似た一本角の獣[1]。
概要
[編集]『論語』や『荘子』といった先秦の様々な文献で、「虎」や「蛟」(蛟竜)と並ぶ猛獣の代名詞として言及される[2]。
『爾雅』郭璞注などによれば、一本角で、色は青(青黒[3])、重さは千斤だった[2]。
『山海経』によれば、兕は「犀」などと一緒に中国内外各地に生息していた[4]。『爾雅』本文によれば、兕が牛に似ているのに対し、犀は豚に似ていた[4]。
兕は楚国と縁が深い[5]。『古本竹書紀年』によれば、周の昭王が楚に南征に訪れた際、大兕に遭遇したという[6]。また様々な文献において、楚の君主が雲夢の地で御狩する猛獣として登場する(例:『公孫龍子』跡府篇などに伝わる「楚弓楚得」説話、『戦国策』楚策一、『楚辞』招魂[7])。
『周礼』考工記などによれば、兕や犀の皮革は甲冑の材料として利用されていた[8]。『荀子』議兵篇などによれば、そのような用法は楚人の慣習だった。
受容
[編集]後漢の画像石(1973年中国河南省南陽市出土)には、兕と推定される一角獣の図像が描かれている[10][5]。
漢代から魏晋南北朝時代にかけて、兕は瑞獣とみなされるようになった[5]。その背景として、讖緯思想の影響や獬豸との混同があったとされる[5]。
平安時代日本の『延喜式』には、狛犬のような役割の守護獣像として「兕像」が出てくる(狛犬#伝来)。
正体
[編集]現代では、架空の生物と説明されることもあれば、実在の生物と説明されることもある。実在の生物だった場合の同定は諸説あり、例えばニーダムは「インドサイ」と同定している[11]。ほかにもジャイルズやラウファーらの説がある[4]。
『集韻』や『正字通』には「メスの犀」とする説が載っており、現代でも『大漢和辞典』などがこの説を載せる。
21世紀現代の考古学や古生物学の成果を踏まえた推定では、先秦当時は「野生のスイギュウ」を指したが、漢代以降に犀と混同されたのだとされる[9]。
兕觥
[編集]画像外部リンク | |
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『西清続鑑』の「兕觥」(pdf 541頁) |
『詩経』には「兕觥」(じこう)という酒器がしばしば出てくる[12]。現代の中国考古学において、「兕觥」は怪獣の身体を模した注酒器を指す。これは民国初期の王国維が、宋代の古物図録『続考古図』の説を採用したことに由来する[13][14]。
しかしながら、「兕觥」は本来、怪獣の身体ではなく兕の角を模した角杯・リュトンのような、円錐形の飲酒器を指していた、とする説もある[12][14]。清代の古物図録『西清続鑑』[12][15]や『金石索』[16]には、円錐形の兕觥の図が載っている。
『詩経』に出てくる兕觥は、罰爵、すなわち饗宴の際に礼を失った者に罰として飲ませる杯だった(『詩経』周南・巻耳の鄭玄箋)[12]。青木正児はその理由について、あたかも日本の可杯のように、円錐形であるがゆえに飲み干すまで置けない(置いたら倒れる)ためだったと推定している[12]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 青木 1988, p. 137.
- ^ a b 字典「兕」 - 中国哲学書電子化計画
- ^ “山海經圖贊(光緒觀古堂本) 第15頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃” (中国語). ctext.org. 2021年3月20日閲覧。
- ^ a b c ラウファー 1992, p. 5-6.
- ^ a b c d 松浦 2012.
- ^ 佐藤信弥『戦争の古代中国史』講談社現代新書、2021年。85頁。
- ^ 小南一郎訳注『楚辞』岩波文庫、2021年。(494頁)
- ^ ラウファー 1992, p. 103.
- ^ a b “守彬:説兕-復旦大学出土文献与古文字研究中心”. www.gwz.fudan.edu.cn (2008年). 2021年3月20日閲覧。
- ^ “漢代石刻畫象拓本數位典藏” (中国語). ndweb.iis.sinica.edu.tw. 中央研究院歴史語言研究所. 2021年3月20日閲覧。
- ^ 加納 2007, p. 357.
- ^ a b c d e 青木 1988, p. 137-139.
- ^ 樋口 2011, p. 84f.
- ^ a b 屈 1971, p. 533.
- ^ 屈 1971, p. 541.
- ^ ラウファー 1992, p. 98.
参考文献
[編集]- 青木正児「兕觥と可盃」『中華名物考』平凡社〈平凡社東洋文庫〉、1988年(原著1959年春秋社)。ISBN 4582804799。
- 加納喜光『動物の漢字語源辞典』東京堂出版、2007年。ISBN 9784490107319。(357頁「兕」)
- 屈萬里「兕觥問題重探」『中央研究院歴史語言研究所集刊』第43号、1971年 。
- 樋口隆康『中国の古銅器』学生社、2011年。ISBN 978-4311203268。
- 松浦史子「中国南陽の漢代画像石にみる独角獣について ――『山海経』にみる異獣「兕」のゆくえ」『漢魏六朝における『山海経』の受容とその展開 ――神話の時空と文学・図像』汲古書院、2012年。ISBN 9784762929748。
- ベルトルト・ラウファー 著、武田雅哉 訳『サイと一角獣』博品社、1992年。ISBN 4938706032。(Chinese Clay Figures (1914) の抄訳)
外部リンク
[編集]- 字典「兕」 - 中国哲学書電子化計画
- “守彬:説兕-復旦大学出土文献与古文字研究中心”. www.gwz.fudan.edu.cn (2008年). 2021年3月20日閲覧。