公地次男
公地 次男(こうち つぐお、1933年2月20日 - 没年不明 )は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、再度伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名同じ。現在の秋田県横手市出身。179cm、100kg。最高位は西十両3枚目。得意技は左四つ、寄り。
経歴
[編集]1952年5月場所初土俵、1958年11月場所に十両昇進し、30場所務めた。1964年1月場所限りで廃業した。
主な成績
[編集]- 通算成績:340勝337敗8休 勝率.502
- 十両成績:213勝233敗4休 勝率.478
- 現役在位:60場所
- 十両在位:30場所
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) | 三月場所 春場所(大阪) | 五月場所 夏場所(東京) | 七月場所 名古屋場所(愛知) | 九月場所 秋場所(東京) | 十一月場所 九州場所(福岡) | |
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1952年 (昭和27年) | x | x | 新序 2–1 | x | 東序二段25枚目 5–3 | x |
1953年 (昭和28年) | 西序二段4枚目 4–4 | 西三段目53枚目 4–4 | 東三段目46枚目 5–3 | x | 西三段目34枚目 6–2 | x |
1954年 (昭和29年) | 西三段目16枚目 3–5 | 西三段目19枚目 4–4 | 西三段目18枚目 7–1 | x | 西幕下44枚目 5–3 | x |
1955年 (昭和30年) | 西幕下34枚目 4–4 | 東幕下34枚目 5–3 | 西幕下24枚目 3–5 | x | 西幕下26枚目 6–2 | x |
1956年 (昭和31年) | 東幕下8枚目 4–4 | 西幕下6枚目 4–4 | 東幕下5枚目 3–5 | x | 東幕下10枚目 3–5 | x |
1957年 (昭和32年) | 西幕下13枚目 3–5 | 西幕下17枚目 4–4 | 東幕下16枚目 5–3 | x | 東幕下12枚目 5–3 | 西幕下5枚目 7–2 |
1958年 (昭和33年) | 西幕下筆頭 3–5 | 東幕下4枚目 2–6 | 東幕下12枚目 7–1 | 西幕下2枚目 5–3 | 西幕下筆頭 6–3 | 東十両22枚目 8–7 |
1959年 (昭和34年) | 東十両19枚目 8–7 | 西十両18枚目 8–7 | 東十両13枚目 6–9 | 西十両17枚目 10–5 | 西十両8枚目 7–8 | 西十両9枚目 6–9 |
1960年 (昭和35年) | 東十両14枚目 9–6 | 東十両11枚目 9–6 | 東十両9枚目 7–8 | 西十両10枚目 9–6 | 西十両5枚目 6–9 | 西十両7枚目 5–10 |
1961年 (昭和36年) | 東十両13枚目 8–7 | 西十両10枚目 8–7 | 西十両6枚目 5–10 | 西十両13枚目 7–8 | 西十両15枚目 7–8 | 東十両17枚目 7–8 |
1962年 (昭和37年) | 東十両17枚目 9–6 | 西十両9枚目 9–6 | 西十両3枚目 4–7–4[1] | 東十両10枚目 9–6 | 東十両6枚目 6–9 | 東十両9枚目 6–9 |
1963年 (昭和38年) | 西十両11枚目 6–9 | 西十両15枚目 8–7 | 西十両10枚目 6–9 | 西十両13枚目 7–8 | 西十両14枚目 3–12 | 東幕下4枚目 3–4 |
1964年 (昭和39年) | 西幕下5枚目 引退 0–3–4 | x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 公地 次男(こうち つぐお)1952年5月場所
- 國美山 次男(くにみやま つぐお)1952年9月場所 - 1957年3月場所
- 公地 次男(こうち つぐお)1957年5月場所 - 1964年1月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]- ^ 右足首関節捻挫により初日から休場、5日目から出場
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公地 次男 - 相撲レファレンス